はてなキーワード: ロマンチとは
世の中、さも恋人がいることが幸福であるかのように言われている。
女子界隈などさらに悲惨だ。
メディアから雑誌から彼氏がいないと負け犬かのように扱われている。
しかし、その実、
その辺のカップルには中身のない関係をだらだら維持しているだけのものが多く感じられる。
一種この辺の思考は自分の男性的ロマンチシズムによるところが大きいのだろうが、
破局後の冷や水を浴びせられたような友人を見ているとなかなかいい線であるような気もする。
私にも熱病のようなアホウの幻想に取り付かれた時期があったが、
犬も食わないようなアホウな話なので、割愛させていただく。
ただ、アホウな男がアホウな女とくっつき、愛想が尽きた男が振ったというだけの話だ。
今までの経験から考えるに、
一定の恋愛メソッドに沿って行動すれば、
よほどの非コミュやブサイク(社会生活に支障が出るくらい)以外は彼女を得ることはたやすい。
同意と受容を繰り返し、
「この人は自分のことをわかってくれている」と勘違いさせ、
他の異性よりも近い間合いを確保するためのメール攻撃や対面コミュニケーションを取る。
ただこれだけで相手が恋愛脳患者の場合はだいたいどうにかなる。
そんなので作られる関係が長続きするわけは無いが。
すぐ甘える。すぐ泣き言を言う。
それでは幸せになるなんて到底不可能だ。
まぁ、私が言いたいのは、
恋人はお世話係なんじゃなくて、
自分に足りないものを補ったり、成長させてくれるパートナーであるべきではないのだろうか。
ということ。
異論、反論は認める。
追記
批判されるべきは2つ。
推すのは1点。
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本より改変
まあ、どのくらいの数のBLオタがそういう彼氏をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないBLの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってるウホッ」
のような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼氏に、BLのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼氏にBLを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う大長編のBLは避けたい。
あと、いくらBL的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
古典好きが『モーリス』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼氏の設定は
BL知識はいわゆる「少年漫画のゲストゲイキャラ」的なものを除けば、ヤマジュン程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「JUNE以前」を濃縮しきっていて、「JUNE以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも全5冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼氏との関係が崩れるかも。
この不幸過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限のトキメキを彼氏に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなBL
(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼氏にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「BLオタとしてはこの二つは“小説”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFBLオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを
彼氏に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津守時生な
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼氏は「プリズンブレイクだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが一部では大人気になったこと、
アメリカでの実写テレビドラマにこういうロマンスが挿入されて、それが日本に
輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、
「やっぱりBLは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「バッテリー」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるごとうの思いが好きだから。
発行ペースが落ちに落ちて、15年以上20冊超えっていうスパンが、
どうしてもわたしの心をつかんでしまうのは、その「続ける」ということへの諦めきれなさが
いかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
タクミくんの長さをわたし自身は冗長とは思わないし、もう終わらないだろうとは思うけれど、一方でこれが
木原音瀬や榎田尤利だったらきっちり1-2冊にしてしまうだろうとも思う。
なのに、初期の2年生のままという設定を捨ててまで15年以上を続けてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえごとうがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼氏に話してみたい。
今の若年層で嫌な奴読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
箱・檻よりも前の段階で、木原音瀬の哲学とかBL技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が新人の作品としてこの時代に流通していたんだよ、というのは、
別にわたし自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくBL好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるダ・ヴィンチBL直木賞でしか木原音瀬を知らない彼氏には見せてあげたいなと思う。
門地の「ネタ」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない男子高校生を毎日愛でる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ『生徒会長に忠告!』のスピンオフは第二ボタン下さい以外ではあり得なかったとも思う。
「男子学生の若さを愛でる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」
の源は制服にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう劇画調メロドラマ風味の恋愛をこういうかたちでBL化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9作まではあっさり決まったんだけど10作目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にロマンチカを選んだ。
魚住から始まってロマンチカで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のBL時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、わたしのこういう意図にそって、もっといい10作目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。わたしがちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
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けど難しい。全然読んだことないのも入っていますので作家さん・作品・ファンに失礼にがあったらどうしようと不安。小説と漫画をごちゃ混ぜにしたのでc/nで区別がつくようにしました(参考にする方はいないとは思いますが念のため)。