そもそも「内発的な倫理」ってあり得るか?
あるレベルまでは、周辺環境と社会からインストールされるものであって、そこに自分なりの「味付け」をするのが精々ではないか。
もちろんグラデーション問題なので、常に自分の思考を疑い、言語化し、解体し、更新することはできないとは言わないが、それを現実の生活と並行して行うことは非常に「しんどい」。
外付けの倫理を受け入れないということは、宗教を信じず、思想的な派閥に与することを拒否し、正に「1人1派」を貫くということだ。
Permalink | 記事への反応(1) | 08:56
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「自分の頭で考えた結果、外付けの倫理と同じになった」と言わせたいんやろなあ