公共の福祉が優先される時点で迷惑行為の表現の自由は許されてない
受忍限度超えるレベルの状況を前提としたらこの主張おかしくないですか?
受忍限度超えるレベルの行為を迷惑行為と矮小化して書いていることにまず違和感を覚えます。
また公共の福祉に反する行為は許されてない、なら理解出来ますが、
公共の福祉に反する迷惑行為は許されないと、公共の福祉が優先されるから迷惑行為は許されないでは迷惑行為に含まれる範囲が異なるので明らかにが意味が異なるでしょう。
仮に受忍限度を超える、つまり公共の福祉に反する行為を念頭に置いたものなら、なぜ受忍限度の話になったときに当事者になってから言え、とか良くわからないことを言い始めたのかも疑問です。
受忍限度を超える状況での主張です、とでもその時に一言いえばそれで終わりましたが。
Permalink | 記事への反応(0) | 05:16
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受忍限度の概念を持ち出したのは、表現の自由そのものではなく”公共の福祉が優先される時点で迷惑行為の表現の自由は許されてない”という主張に対するものです。 つまり、ある人...
お互いに迷惑の度合いが違い過ぎて話が狂ってる。 こっちが想定してるのは受忍超えるレベルの話で近所迷惑レベルの話はしてないよ。
公共の福祉が優先される時点で迷惑行為の表現の自由は許されてない 受忍限度超えるレベルの状況を前提としたらこの主張おかしくないですか? 受忍限度超えるレベルの行為を迷惑行...