2024-03-06

ディティール、そして温度

廃れた町、商店街観光地、尺が短い営利動画では物足りないし、足を運ぶと期待したものではなく、けれどどこかにはあるはずだと探し続けている、何か、空気感のようなもの。短時間滞在、単なる通過者(ツーリスト)の状態自分では享受されないものなのかな。これを伝える言葉が浮かんでこない。

すでに大勢バターになった道の上に立って、誰もが見たものを誰もが見た画角撮影して、という自分客観視。個人的体験の渇望、飢餓感?

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