ガキの頃は邦画なんて過剰演出で泣かせようとするばかりだと馬鹿にしていたんだが
ああいう演出は受け手側が普段抑えている感情を掘り起こすことに意味があるということが最近分かるようになってきた。
歳を重ねると「できなかったこと・ならなかったこと」が澱のように沈澱してくる。
中でも悲しみにまつわるイベントは顕著で、俺たちの忙しい社会は配偶者や親子供が死のうがそれを長く悼むことを善しとしない。
ハリウッド映画が心の中の厨二とかキチゲを解放してくれるのと同じで、やたら泣かせようとする映画は自分らが日常の中に置き去りにしてきた気持ちを代弁して解放しているんだなぁと思いました。あーオッサンになった。