「エモい」という言葉でしか表現できない感情がある、ということには同意するんだけれど
「富士山の山頂から雄大なご来光を見て興奮してる状態」は、「崇高」という言葉が当てはまると思う。
もっとも、「崇高」という言葉を日常的に使える人はほとんど存在しないと思うし、日常会話で、冨士山のご来光について「エモい」っていうこと自体は、別に問題ないとは思う。「崇高だなあ」とか言ってる人いたら、逆にびびる。
ただ、富士山のご来光に対して抱く感情については、既に「崇高」という名前がついているので、「「エモい」という言葉で”しか”表現できない感情」の例として出すのには、いささか不適切ではないか、と。
崇高と興奮って言うほど当てはまるか?