馬の鼻先に人参を吊るして走らせる、なんて都市伝説やと思うんですよね。馬はそんなにアホちゃうからすぐ気づくやろうし、そもそも食いもんなんて別個に自分で見つける力あるでしょ。
それとおんなじように、希望を自分でいい塩梅にチューニングして、それを生きる動機にするんて、難しい思うんですよ。絶対叶わへんとわかってたら、そらやる気も出ぇへんし、叶いそうな短期的な望みやったらじきに叶えてもうて「次」が必要になるしね。
次から次へと希望を用意すんのはキツい。年齢的にもキツいし、世の中的にも「もうそういうのはええかな」感あるし、まぁ消費社会の終焉ってこんな感じなんかもしれへんけど、前より全然難しくなってきてる。短期的希望って麻薬みたいなもんでブスブス打ってるうちに慣れてしもてんのかもね。
ま、「モノ」やろうが「コト」やろうが、一瞬でもダッシュさせてくれる人参は、もう思いつかんくなってきてる。
“夢は見るといい。叶わないけど”
せやね、俺はずっと自分を過大評価してたんかもしれん。社会的な自分やなくて、内的な自分を。その広さ、奥深さ、豊かさを無限のように思い込んで、そこに何かあるとずっと信じて。