2023-09-16

馬の鼻先に人参を吊るして走らせる、なんて都市伝説やと思うんですよね。馬はそんなにアホちゃうからすぐ気づくやろうし、そもそも食いもんなんて別個に自分で見つける力あるでしょ。

それとおんなじように、希望自分でいい塩梅チューニングして、それを生きる動機にするんて、難しい思うんですよ。絶対叶わへんとわかってたら、そらやる気も出ぇへんし、叶いそうな短期的な望みやったらじきに叶えてもうて「次」が必要になるしね。

から次へと希望を用意すんのはキツい。年齢的にもキツいし、世の中的にも「もうそういうのはええかな」感あるし、まぁ消費社会終焉ってこんな感じなんかもしれへんけど、前より全然難しくなってきてる。短期希望って麻薬みたいなもんでブスブス打ってるうちに慣れてしもてんのかもね。

ま、「モノ」やろうが「コト」やろうが、一瞬でもダッシュさせてくれる人参は、もう思いつかんくなってきてる。

“夢は見るといい。叶わないけど”

“俺たちはバカで、もそもそメシを食うしかねぇのさ”

せやね、俺はずっと自分過大評価してたんかもしれん。社会的自分やなくて、内的な自分を。その広さ、奥深さ、豊かさを無限のように思い込んで、そこに何かあるとずっと信じて。

自分の中にあるものが意外と貧相だと自覚したら、もうメシだけ食うしかないのかも。

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