親切心の原体験は学生時代に落とし物を拾おうとしたら「汚いから触らないで」と断られた事だ。
すべての老人に席を譲ったわけでは無いが、何度か席を譲ったことがある。落とし物を拾い、交番へ届けた事もある。路端に落ちたゴミを拾った事もある。コンビニで募金をしたこともある。
きっとそれらは全て無意味だ。
俺に席を譲られた老人は顔に出さないだけで俺が触れて汚れた席で不快になっただろう。
落とし物を届けた交番の警察は余計な仕事が増えて面倒な気持ちになっただろう。
路端に落ちたゴミを拾ったって街中のゴミの数は大してかわりもしない。
コンビニの募金だって俺の数十円なんて無くても良い誤差だろう。
全部無意味だ。
自分の行う善行めいたものはその実、人を不快にさせ、人の手間を増やし、無意味な行いだ。善行を行ったという虚栄心を満たすためだけに行われた偽善だ。