これは安楽死決行できなかったという話では注目度が薄いので安楽死を決行したという華々しさで失敗談をエンタメに昇華しているのだと思うが、
もはや安楽死とはそんなにも軽々しい死のロシアンルーレット的な存在になったのだろうか
一部の好事家や露悪趣味な人間、刺激に飢えた若者が自殺をエンタメとして消費するのは一種の趣向として理解できなくもない
ただ、安楽死というのは当事者が切実に求めているモノだと勝手に思っていた
実際はそんなことはなく、ただの娯楽として消費していいということなのだろうか?
だとしたら、やはり国でサポートすべきではなく、他国への渡航で決行するのは本人の自由という消極的な肯定に留まる現状維持の方がよい気がする