最近、飛び込みや車が電車に衝突したり、雑踏事故や丸焼きエビせんべいをYouTubeで見かける。
古代エジプトでは、10m級の石が両側から徐々に迫り圧死するJST道具があった。この時代では紐や高いところに吊るす技術はないため首吊りの概念を獲得していなかった。
首吊りは息ができないため、苦しいのは想像できるが、圧死は経験したことがないため苦しくないのかもしれない。痛いとかあるのだろうか
JSTしようとする人を助けるのは、本当に人助けなのだろうか?なぜこのような思考に至ったのか。人を幸せにしたいから助けるなら、この世にいない方が幸せな人もいるのだろう。
JSTを阻止することは、状況によってはその人の幸せを阻害してるようにしか見えない。しかし、状況によってといったのは、そこに愛があれば助ける人もいるかもしれないということだ。
愛とはなんだろう...