表現の自由を担保するのに各自の意識だけでどうにかすると、焚書派の猛烈な攻撃と自由擁護派の屈するなコール、両方が飛んできて焚かれた瞬間手間が二重になる
全部スルーをするにもずーっと言葉は飛び続けて、電話だの手紙だのの処理に忙殺されることを考えたら「焚かれないこと」を至上命題とする公開前プロセスが発達するのは仕方ないこと
主張そのものに妥当性もなきゃ主観100%で行われる焚書は断固として行わせてはならない。が対策をやりすぎると厄介ごとが別で生まれる
自由は結局永遠の闘争なんだな…
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