2022-06-22

anond:20220622203933

誰にも憚られず自由な振る舞いをすることと他者(や社会)との関係性の中で振る舞うことの違い。

まり先生と生徒という関係性、教室という場との関係性、そういった諸々の要因を踏まえてどのように振る舞うのかが決定されるのではないだろうか。

それはともかく、自分感情に基づいた要請を嫌う以上、理屈を丁寧に構築するしかないと自分は考える。

例えば、授業に集中できていない原因がガムを噛んでいることだと認められる、とか。

その一方で、行為が認められない十分な理由がある場合なんて殆どないのだから、あまり気にしなくても良いのでは、とも思う。

記事への反応 -
  • 日々、子どもと接するなかで、余計なことには口を出さないように、自分が不快だからこうしろみたいな態度を取らないように気をつけてる。ルールになければできるだけ口に出さない...

    • 誰にも憚られず自由な振る舞いをすることと他者(や社会)との関係性の中で振る舞うことの違い。 つまり、先生と生徒という関係性、教室という場との関係性、そういった諸々の要因を...

    • 多数派が不快に感じるものはやっちゃダメ、が社会ルールの基本だろう。それ以上でもそれ以下でもない。 選択的夫婦別姓みたいなのは希望者自体は多数派ではないだろうが、政治力で...

    • 大人だなあ……だから教師になれたのかもしれないけど ガムって無音で食べるの難しいと思うんだけど周りの子達は気にならないのかなあ そこで周囲の子が不快感を示していたらそれを...

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