昨日の酢豚は美味しかった。今でも味を思い出せるが、脳みそに酢豚が保存されていて、それを再び食べる訳ではない。
脳みそには酢豚を食べた、酢豚はこんな味だったという「情報」が入っている。
厄介なのが「情報」を書き出すときも、読み取るときも誤差が発生することだ。
想い出はセピア色というように、自分の記憶すら少しずつズレていくのに、他人とのコミュニケーションでは認識がズレまくりだ。言い間違いのオン・パレード、聞き間違いのバケツ・リレーだ。
インターネットでは様々な酢豚像が共有される。酢豚が定義するところは、その平均、みんなの酢豚散布図の重心になる。
そんな誰もいない地点に酢豚像の焦点を合わせてどうする、誰が見る。見ろ、インターネットなんか使ったから俺の酢豚像はボヤけた。
我々に必要なのは酢豚を完全再現できる「誤差のない情報」の生成方法だ。
他人にも誤差がないとベターだけど、自然言語を介す以上難しい。
脳に酢豚を。
ライブ・コンサート行った時のDVDは買わない方が良いのと似てるな カメラという他者が撮った映像が正史になって俺が見たライブの像が消えてしまう