「皆が」許したりか許さなかったりが大事なわけないだろ。大事じゃないから適当だよそりゃ。
インターネットに絆されすぎなんだ。SNSと社会を混同しちゃってる。
許すか許さないか決めるのは法であり、法の背後にある警察権力、即ち暴力だ。
世間が許すかを気にしているのはピントがずれている。現実を見れてない。
一昔前は、もうちょっとその辺の差異に敏感だったと思うんだけどなあ?
日本人は世間が許すかを気にしすぎる、空気を読みすぎる、とか言って。
ところが、元増田のようなやつがする話は、空気は全員読むのが前提で、空気がどう変わっているかのみを問うている。
そんなん気に入らなかったら空気読まなきゃいいんだし、どのみち空気読まない奴はいるんだから、許すも許さないも無意味だよ。
Permalink | 記事への反応(1) | 14:09
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事実認定をするのは世間だろう 沖縄で警察官の警棒が目に入ったのか入ってないのか、事実認定に世論が影響していないわけがない
影響はあるよ。 あるけれども、その影響はどっちかといえば減らすべきなのが、かつて自明だったじゃん。 大衆の判断なんか適当に決まってるだろ。 テレビやネットだけ見て判断...