そんなに嫌いなのはそうとう好きと同じくらい気に掛けてるんやな
抗体みたいやな
それって個人的には嫌悪でストレスだろうけど社会的な立ち位置でいうと抗体に近そう
「そんなに嫌いとかいってほんとは好きなんじゃないの?」とか言われたら本気で嫌なくらいには嫌いだとは思うけど
それって当人の問題であって社会的にとか第三者的にみたら好きと大して変わらない存在に見えておかしくないんじゃない?
人の目を気にしないなら自分が嫌いであることを確立するために自転車から嫌われたら楽だよね
嫌われないようにしておいて気になるとかいわれたら好きと何が違うか説明に困る
だったらもう自転車が好きがゆえに気になるっていっちゃったほうがよくない?
そのうえで自転車すきだからこそお願いをしたいということで自主的な規制をどんどんふやして社会的に自転車が息苦しいところまで追いつめて