入院してした病室の、または入院できずに自室のテレビで、高熱や咳にうなされながら見るオリンピックの実況が、自分を通り越して室内を満たして。たまに朦朧とする意識の中で、あぁ、あのとき飲み会行かなきゃ良かったな、とか、警戒を怠りすぎたかな、とか沸き出る後悔と対面して。最悪の場合、このまま死んでしまうんだろうかという怖れ、このオリンピックダイジェストのように人生を振り返ることもなく、単純な意識の消滅として訪れる自分の結末、それを何より怖れる気持ちが消せなくて。朝、浅い眠りから、蝉の耳障りな鳴き声で引き戻されたとき、あの虫たちのようにせめて鳴きわめきたい、自分の生きた証、最期の輝き、怒りや悲しみの放出。それからドアの前に倒れ込みたいと。そう思っている人がいま、いるかもしれない、2021年の夏。