表現者はときにモラルギリギリのことをしなければならない。このバランス感覚がすぐれた人が生き残ってきた。自分ではできないからこそそこは人気が集まる。社会の不満もそれで解消される起爆剤になっていた。
しかし、インターネットによってその作品などは比較的残ることが多くなった。もちろん時代なとでその境界線は違う。違うのに残ってしまって、今の基準で判断されてしまう。
これは良いか悪かではなく、そういうものなのだ。表現者はアウトローなのだから、そのリスクを受容しなければならない。
Permalink | 記事への反応(1) | 08:30
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稗田阿礼「いやーそれほどでもあるよ」(*^^*)