「あてがえ論」の言葉通りに人を人にあてがうのが人権的に不可能である以上、せいぜいできることは例えば下方婚問題で言われる男だけが強い経済力を求められるみたいなジェンダーロールやジェンダーバイアスからの解放くらいだと思うけど、結局、人が付き合う相手を自由意思で選ぶ権利が不可侵である以上、何らかの魅力がないと誰にも選んでもらえないという現実は変わることはないんだよな。
だから弱者男性論が社会に認められたとしても救われるのは”男としては魅力的ではないけど人間としては魅力的な人”だけ。
はてなで怨嗟を垂れ流しているような奴等が救われることは絶対にない。
分かりやすいから結婚なんかの人付き合いの問題で言ったけど、他の問題でもだいたいそうだろう。
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