「ありがとう」が言えるようになるにはどんな教育が必要なのだろう。
成人するほどに歳をとってしまえば、内心どう思っていようが、とりあえずお礼言ってりゃどうにかなるやろ、ぐらいの処世術としてお礼を言える人間になった。
たったその一言だけで印象が良くなるのだ、「ありがとう」の安売りに何の抵抗も無い。
しかし、幼少期を振り返れば、私はお礼を言える子供ではなかった。
お礼とは感謝の意を示すもので、欠片もありがたく思っていないのにお礼を言えるほど、器用な子供ではなかった。
加えて、親から「ありがとう」を何度も強要されたこともあり、「ありがとう」には不快なイメージが付きまとっていた。
己の発する「ありがとう」は親のご機嫌取りの言葉であり、親の発する「ありがとう」は嫌がる子に命令して怒鳴りながら動かした自身を正当化する言葉だった。
他者から何かしらを施されることに恐怖こそあれど、ありがたみを感じることはなかった。
同級生とよく遊ぶ教育
今だって処世術で言ってるんならガキの頃のそれと同じことだろ
子供の頃、親からしてもらったことが、ひとつも嬉しくなかったのか? やってもらったことが嬉しかったら、ありがとうって言えると思うんだけれど。
毒親は子供が喜ぶと恐怖して怒り狂うんだよ
えっ、こわ 毒というより狂った親じゃん
毒親を何だと思ってたの?
あなたのためを思ってってコントロールする系 自分の思う通りにならないと嫌だけど、喜んだら恐怖するってのはないのかなって