他人の肉体に臓器をねじ込んで体液を注入する(される)行為って個の侵食であり暴力そのものって気がするから女とセックスできる男と男とセックスできる女がそれぞれどういう心理的な折り合いをつけるのか気になる
個人的な推測としては他者と自他の境界がゆるまることをもってしてそれ自体を暴力の枠組みから自然に押し出されるような機序がある気がする
(実際に成功した結婚をできた人間たちは他者が自己に侵食することと自己が他者に侵食することについて少なくとも潔癖的には厭わない特性を持っている人が多いように思う)
Permalink | 記事への反応(2) | 21:10
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うっせえ謝れ
うっせえから謝れ