最近、安楽死が話題で、早く楽に死にたい的な意見を投じている増田が多い。
でも、意見を投じてトラバを待っている間は死ななくて済むのだから、そういう増田って「シェヘラサード」だなとふと思った。
シェヘラサードは王に殺されないよう延々と話を続けたわけだが、そういう増田も自分という王に殺されないために、延々と意見を投じる行為を続けているわけだ。
そして、シェヘラサードは王の子を産んでその死ぬべき運命から解放されたように、増田も、その意見の中から何らかの理解が生まれたときに死ぬべき運命から解放されるんだと気づいた。
そういう点では、増田は瞑想と修行の場なんだと思う。皆、何らかの行き詰まりから飛び出すために書き続けている。なんか増田の使い方が自分の中ではっきりしたような気がした。