リベラルは選択肢として夫婦別姓を支持しているだろうに尊厳死の選択はどうして否定出来るのだろうか
人間は頭が悪いから正常に判断出来ないから、みたいなのもあるけどそれもリベラル的な判断ではない
元々リベラルは人間の可能性を(割と無邪気に)信じていたと思うのだけど、なぜか最近は保守化しているのか人間に否定的で可能性を信じずに行動を制限するのが好きになっているような、保守を通り越してまるで暗黒啓蒙にまで届きそうな勢い
現在でも胃ろうや人工呼吸器などの延命治療の拒否は可能で、QOLを重視した家族を否定するような感じがあって、ここ数日の尊厳死を頭から否定するような言説が気に入らないというのもあるけど、リベラルに違和感はないのだろうか?
自殺の是非という価値観の問題と、純粋な本人の意志によって極力苦痛なく死ぬという仕組みをいかに実現するかの問題があって、どちらも乗り越えるにはまだ時間がかかりそう。