2019-01-06

anond:20190106093717

しかしながら日本の法というのは恣意的運用可能ガバガバ法であってそれに違反しないで生きていくのはほぼ不可能なのだ

たとえば僧衣で運転してたら検挙されたってのがそれに当たる。法において「具体的にどんな衣服運転すれば適法なのか」は定めがない。警官インスピレーションで「今日のこいつは捕まえよう」と思えばそれすなわち違法なのだセクハラもそう。もちろん厳密にはそれらは違法だったわけではなく、裁判の結果違法が確定されるわけなのだけど、一般的日本社会人において検挙されて裁判しなければならないってだけで十分社会的な死に近いダメージなんだよ。痴漢冤罪を見てもそれがわかる。

記事への反応 -
  • さっぱりわからなくて何が悪いんだか。興味がないならそれでいいじゃん。特定の属性の人を不当に区別しなければいいだけ。 興味がないなら区別するエネルギーも湧かないし何も困ら...

    • 何が不当で何が不当じゃないかってのは何らかの絶対的正解があるわけではなく、大きな範囲で言えば時代でそのコンセンサスが移り変わっていくし、ミクロな単位で言えば被害者を自...

      • そのとおりだと思う。適当に言ってたから不当にって部分を撤回したい。 これは正当な区別も自ら進んではしないということだけど、正当な区別の内容は法律で決めて、個人としてはそ...

        • しかしながら日本の法というのは恣意的運用が可能なガバガバ法であってそれに違反しないで生きていくのはほぼ不可能なのだ。 たとえば僧衣で運転してたら検挙されたってのがそれに...

          • スピード違反みたいなもので、厳密に見ていけば程度の差はあれ誰でもやってるわけで、 単に気に食わない奴がやってた時だけ殊更社会悪のようにあげつらってるだけだからな

    • 「差別をしないこと」というのが、例えばキズナアイとかの排除がそれに当たるかは議論の余地が十分すぎるほどあるだろ 何で向こうの言い分を無条件に認めなければならないのか

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