よくこの言葉を使いたがる人がこれって差別じゃないの?
確かに立場、事情なんかの諸々の要素を想像しなければ正解からかけ離れた間違いを犯す危険がある。
でもそれは想像力ではなく、想像の欠如であるはずだ。
想像力というものが、人々が持っている普遍的な能力で、みんなが発揮できるあればいいのだが、僕はそうではないと思う。
なぜなら想像には不可不向きがあるのだ。
だから想像が不十分だったときに想像力の欠如と言うと人格批判になってしまうと思う。
このような想像が不十分であったときは想像を促す事情などを示して指摘するべきではないだろうか?
そんなことを思った1月3日。
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
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