ご存じの通り、生前の沙知代はいろいろと世間様を騒がせ、時にはご迷惑もおかけした。
私が、'77年に南海の監督をクビになったときも、2001年に阪神の監督をクビになったときも、その原因は彼女にあった。世間からは、まごうかたなき「悪妻」と思われていただろう。
だいたい、夫の俺に話していた経歴からして、みんな嘘だった。
出会った頃に、英語を流暢に話す彼女を見て、「どこで覚えたの?」と尋ねると、すました顔で「コロンビア大学」。本当は福島の農家の娘なのに、自分は社長の娘だと言い張っていた。とうとう沙知代が、私を両親に会わせることはなかった。
めったに言葉を荒らげることのない私だって、何度怒鳴りつけてやろうと思ったかわからない。
だけど、彼女と別れようと考えたことは、人生で一度たりともなかった。
「俺以外に、お前と上手くやっていける人間が、この世にいると思うか」
そういう気持ちだった。
野村克也みたいだな