東京都練馬区の光が丘のあたりは、戦中は成増飛行場だった。
そのあたりの陸軍予科士官学校で化学教授をしていたSは、戦後に早世した。
Sの息子も戦後に物理学者になり、孫が2人いる。しかし曽孫はいない。
Sの息子嫁はプロテスタントで官僚系氏族から来た女だ。
何かにつけSの家を断絶させるべく孫の暮らしの邪魔をしているらしい。
学者が戦争に加担すると、あとでこういうことになるんだな。
それとも、日本への初空爆、1942年のドリトル空襲を契機に建設されたという
成増飛行場に秘密があるのかね?
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