本当の自分なんてない いや、ないかどうかも分からない そもそも本当の定義が分からない それでもなぜか本当の自分を求めがちだけれども
でも自分を方向づけることはできる ちょうどボールを転がしてやるように 方向を変えることもできる ボールになったかのように でも方向を変えたのは本当の自分かというとそれは違うだろう その決断はバタフライエフェクトのように何かの影響により起きたものだろうし、完全に個人が個人の意思で何かを決めるなんてありえない
現代だと、これ以上分割できないものが存在する、何かを定義して議論を進めたい、という西洋風の理性的な考え方になびいてしまうのだ
でもそうじゃなくてアイデンティティや個人(individual)は幻想だ 最小単位と思われていた原子が今や最小単位ではないのだしこれから粒子も分解されるかもしれない 議論は進めても際限がない 丁度人権論が泥沼化するように
本当の自分がないと不安な人もいるかもしれないしいた方が周囲も接しやすいのかもしれないから仮に用意しているのかもね
元増田の指摘は、20世紀以降の科学や哲学の基本だ。 問題は、大多数の人間はそういう考えをベースにコミュニケーションが取れないことだ。 彼らは、自分の身近にいる人間たちの「...