といわれることがあるが、これは日本の「察する」文化によるものではないかと考える。
相手が勝手に察してくれることに慣れているから、そうでない相手にいざ自分の意思を伝えようとしても伝える力が育まれなかった。
そもそも「察した」結果相手の意向に沿わないものだったら、自分も相手もマイナスにしかならないのに、そんな伝達手段を選ぶ必要もなかろう。
幸い人間には言語能力があるので、それを存分に活かして必要なことはしっかりと意思表示すれば無駄な誤解も減るだろうて。
Permalink | 記事への反応(1) | 20:28
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秩序を乱す出る杭として袋叩きに遭うからだよ それが個性的なものであれば特に
他には「レッテル貼り」とかかな。 それもまた日本ならではの文化。 そうやって目立たないふりをしつつ、水面下では腹黒い。 なんて陰湿な社会。 かといって国外へ出る勇気もないが...