「実は自分は特別な存在」であることは
自分がいる以上原理的に永遠に肯定され得ることなのだけれども、
その評価を共有できるのは自分と、
うまくいけば親と、
さらにもっとうまくやれてもせいぜい伴侶ぐらい。
それにいつ気付くかなんだよね。
他人の言葉でなく、己の経験で。
「方向」なんて、
それに対する客観的な肯定をどこに求めるかでしかない。
しあわせってのは、幸か不幸か、
方向にも肯定否定にも努力にも関係なくいつか気がつけば訪れているし、
ちゃんとした因果律に則ってわりと簡単に去っていく。
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人生のレールから外れたところでもなんとか生きていけるんじゃないか、そんな気持ちで大学を卒業して適当に就職を決めた結果の今。 後悔は特にないけど、もっと社会の仕組みであり...
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