なぜおじさんは劇場版鑑賞後「ガルパンはいいぞ」しか言えなくなるのか。
その原因の多くはエンディングのpiece of youthにある。
映画本編では言及ポイントの飽和攻撃が、美しい大団円を迎え、少女たちがゆっくりと日常に帰っていく。
それを優しく追憶の彼方に押しやるpiece of youthが、そんな美しい青春などなかったおじさんの心さえも暖かい光に満たし、忘我の域に追いやるのだ。
あるいは過去が美しくなかった分だけ、その光は強いかもしれない。
「ガルパンはいいぞ」それは、誰かに何かを伝えようとするものではなく、
ニフラムの光を受けたおじさんの詠嘆のつぶやきなのである。
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