最初にやり玉に揚げられたのはハイチ地震の時だろうか。
それがあることで誰かを元気づけることが出来るなら、全く無価値とは言えないだろう。
被災地にはパンだけを送ればいいというわけではないだろう。
優先順位ということもあるだろうが、千羽鶴は三日三晩で折れるようなものだろうか。批判者は優先順位の問題を超えて千羽鶴やその他非物質的支援を否定しているように見える。
彼らの否定の根拠は、自分はいらないと思うからいらない、という主観以上のものがないように思える。自分には神の言葉が全く実体的な効果がないとは言えない。
ところでTwitter上の批判者のアイコンを見るとアニメアイコンが非常に多い。彼らの言によればオタク産業などは全くのゴクツブシということだろうか。
Permalink | 記事への反応(3) | 12:19
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エビデンス主義者「千羽鶴が誰かを元気づけることが出来たというエビデンスがあるなら教えてほしい。」
アニオタ「千羽鶴にはオタクを癒す効果は無いが、フィギュアには癒し効果がある! だから、フィギュアを送るべきだ。」
マジかよ、どのアカウント?
クロネコ「直接の救援物資以外送るの、マジかんべんして」 ペンギン「そうだそうだ」 犬「そうだそうだ」