アパートに住んでいるが、お隣が「ベランダで隣に水を流さないで欲しい」と自治会理事に苦情が入ったらしい。
そして、理事の人が管理規則の冊子を持ってきて、「ほら、書いてあるだろう」という。ひどい恥をかいた。
水なんか意図的に流していない。今は、クレーム回避のために引越し屋が洗濯機の取り付けを受け付けてくれないので、自分で取り付けざるを得なかったのだ。
お隣はずっと昔から住んでいて、そういう事情を知らないに違いない。引越し代がいくらかかったと思っているんだ。それでも、まだ不足なのか。社会の代表だという顔をして、私の不注意をあげつらって私からこれ以上搾取するつもりなのか。
要するに、隣の人は、私に死んでもらいたいに決まっている。私が目の前で手首を切ってやれば、隣の人はゲラゲラと笑って喜ぶだろう。
いや、喜ぶべきなのだ。クレームを入れたのだから、必ず、喜ぶべきなのだ。喜ばないならクレームを入れなければいい。だから、クレームをいれたということは、私が死んだら喜ぶということに同意したということだ。
お隣が私に死んで欲しがっている。