ただ元の話は、学問に対する興味を持てるかどうか、という話なので、それは言語とはまた別の問題だと思うのです。たとえ、英語や中国語などを学んで話せるようになったところで、学問的な興味を持つことが出来なければ、そもそも意味が無いので、まずその入り口が大事だなと思います。
日本においては、学問的な興味を持つ→英語で学ぶ必要がある→英語に強くなる、という流れの方がより自然じゃないでしょうか?
そもそも高等教育が英語でしか成り立たないような言語を話す国においては、まず英語を教える→学問的な興味を持つ人が現れる→英語で学ぶ、というのが自然ですが、日本語は幸いなことに、日本語でもかなりのレベルまでの教育が可能 (従って、科学館・博物館における説明も日本語で可能) なので、最初の「興味を持つ」という部分を厚くした方が、結果として効果的なように思います。
都内住みで、今年小学校 2 年になる子供を持って、不意に東京と地方の圧倒的な教育格差に気づいた。 最近よく行くようになった、科学館や博物館の質と数。 自分が小学校の頃、親に...
学術方面で日本は中国に負け始めたというのは、こういった背景があるんでしょうな。 子供のことを考えるなら博物館でも科学館でもなく英語か中国語を教えるべきですね。
それらの言語の必要性がますますと増しているのには同意です。 ただ元の話は、学問に対する興味を持てるかどうか、という話なので、それは言語とはまた別の問題だと思うのです。た...
子供のころからよい経験を積んで親になって、増田プレイ