http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751
>伊藤計劃というのはそれを理解して、わざと仕組んだと解釈する立場。
なるほど。伊藤氏はハヤカワに「僕の名前で、たくさんフェアとかやって関連書籍を出してください」と遺言した、というわけですね。そうした遺言は、どちらにあるのでしょうか?
そうでなく作品からそう解釈したというなら、虐殺言語を書いたから、虐殺言語的な結果を「わざと仕組んだ」というのなら、それは馬鹿馬鹿しい限りです。
推理小説作家が死んだら、その名前で殺人事件を起こして「彼はこれを理解してわざと仕組んだ」というのと、何が違うのでしょうか?
本が売れたら、次はいよいよ虐殺言語で、テロ起こしまくったりするのが、故人が仕組んだことなんですかね。
それに対してもくすっと笑えばいいんですか?
作品内にある現象や思想が表現されていたとして、作者がそれの実現を望んでいたかどうかは、全くの別問題です。
作品内の思想が現実でも起きたことについて、作者は複雑な思いをするだろう、くらいは言えるかもしれませんが、それを「理解して、わざと仕組んだ」と言える無神経さは問題化と。