途中まで読んだけど恐ろしくなってきた。
昔から一部の間で「思考の節約」と呼ばれている態度が、さまざまな実験によってあかされている。教育を受けた人達であっても簡単に思考を節約してしまう。
一歩進めて、思考の節約のセルオートマトン、みたいな発想に至った。簡単に言えば、ある人の周囲で思考を節約している人の割合で、その人の思考の節約傾向が決定づけられる、という。そう考えたときに、ある群の「思考の放棄」を防ぐために必要な施策は何か、いろいろと仮説は立つ気がする。
誰かのブログにあったが、「教育なき民主主義は無意味である」教育は順当な思考能力の涵養を目的の一つとすると思うが、教育する相手と順番は結構重要な気がする。もちろん、全体の底上げもしないといけないのだけど、コストは限定的なので。