分かりやすい「面白さ」というのは、送り手が読みやすいように情報に施した糖衣のようなものであって、情報そのものではない。「面白くて次々リンクをクリックしたりタブを展開したり」するのは、単に情報の送り手に踊らされているだけであって、情報強者どころではなく単なる情報の奴隷に過ぎない。一日24時間TVを見て、チャンネルを変えてはゲラゲラ笑ったり、気が向いたら録画したりしているだけの人間を情報強者とは言わないのと同じ。情報に踊らされて自分を見失っているだけ。
そんなことよりも
…と思う、その感覚を大事にした方がいい。分かりにくい「面白さ」には価値があるし、それを分かるために「自分なりの」努力することにも価値がある。論理の「飛躍」ではない、自分にその論理が理解できていないだけだと思うべきだ。そして、そこからそういうモノを作りだせる人間になれば、それで飯を食っていける。分かったようなつもりでうまいこと言おうとするよりも大事なことがそこにある。
最近、ネットブラウジングをしていてよく考えることがある。 自分はこんなにタブを開いているが読んでいるのだろうか、全て読む必要があるのだろうか、したいことはなんだったん...
分かりやすい「面白さ」というのは、送り手が読みやすいように情報に施した糖衣のようなものであって、情報そのものではない。「面白くて次々リンクをクリックしたりタブを展開し...