一部の特別階級がいるけど、その下にむちゃくちゃ酷い労働階級者が山ほどいるという
そしてその労働者に「お前らが不幸なのは日本のせいだ」と教え込む特別階級
何と言うか、本当に羨ましく見えないんだよなぁ、不思議
差別意識なのかもしれないけど、日本がアジアの枠で括られるのに違和感を感じる。
ユーラシア大陸のトルコ以東はみんなアジアって、そりゃヨーロッパ人の視点だろう、と。
日本は中華文明圏に属す、って言われても、あまり実感がないというか。
\lim_{n\rightarrow\infty} \int_0^{2\pi} {|sin nx|} \dx って幾つになるんだろう?
追記:正直すまんかった、ごめん。気になったのでやってみた。
http://www.wolframalpha.com/input/?i=%5Cint_0%5E%7B%5Cpi%7D+%7Csin+9x%7C+dx
同意する。
逆にこんな俺でも「そんなこと気にしない」って好いてくれる、って事もゴマンとある。
勿論、マイノリティであればあるほど壁は高いだろうけど、
だからといって「好きな相手が女の子だったら」クリアできると思っているなんてどんだけ自信家だ?
もしも女の子だったら、そいつに好かれるためになんでもやる!っていうんだったら、
ゲイが嫌いな相手に自分がゲイじゃなくなる努力をって事は思わないのか?
思わないよな?
ゲイの人間は、自分がゲイだからって事を恋愛の言い訳にしている節がある。
と、バイの俺は思う。
ちなみに、好きになった同性が異性だったら…なんて事も俺は思わない。
誰が好き好んで"代替品"になるか!
"お前じゃなくても、別に良い"なら選ぶな
変わりが利くものになるつもりはない
俺は"掛け替えのない、たった一人の、私だけの人間"になりたいんだ
その為に、俺は俺の全部を差し出すんだから
裏切ってくれるなよ?
恋人よ、愛する人よ
俺の何もかもをお前への供物にするのは、お前の持ち物が"たった一人"でも寂しくない様にする為なんだから
だから"たった一人"がもう一人居るなんて、居たなんて、言わないでくれ
裏切ってくれるなよ
たしかに東大以外はいらないと思う。
釣りだとは思うんだけど、なぜ「韓国政府が悪い」という思考に行き着かず、日本が悪いって思考になるの?
じゃあ日本が「今度こそちゃんと個人の補償をしてよ」と韓国政府に金を渡して、韓国政府がまた同じ事をして、それでもまだ「日本は補償しろ」って言うの?
は?どこが違うの?ちゃんと実例見て言ってるつもりなの?空想で書くなよ。
おい、語尾に“ニダ”を付け忘れて居るぞ。
おい、語尾に“ニダ”を付け忘れて居るぞ。
おい、語尾に“ニダ”を付け忘れて居るぞ。
タイトル通りゾンビの出てくるコメディ映画で、アメリカではヒットした。日本では、どうなのかな?
でもこれ、面白いんだよ。ゾンビ映画だが基本そんなに怖くない(だってコメディだしね)ので、映画好きで観れる人は観てほしい。
さてここから本題なんだけど、映画の中盤当たりでこの増田の事を思い出させるシーンがあったのでその事について書きたい。
当然、内容に触れるから、これから観るからネタばれはダメとか言う人は読まないで。
この「ゾンビランド」は上に述べたようにコメディ映画なんだけど、アメリカのコメディ映画のパターンの一つで、主人公はダメダメルーザータイプの人間に設定されている。
つまり非モテですよ。大学生、あるいはそれ以上の年齢設定になっているが、全然女の子にモテた事がない、家ではずっとテレビゲームをやっている非モテ青年。
別に見た目キモオタなわけじゃなく、演じている俳優さんも普通の顔立ちだが、映画の中では頼りない、情けない、モテナイ雰囲気を漂わせている。
そんな主人公がゾンビの増殖して人間社会が崩壊した後のアメリカでマッチョタフガイ一人と、二人の姉妹に出合い成長するという予想通りの物語なんだけど、この姉妹が詐欺師姉妹で、主人公とマッチョは何度か騙されるんだが、一緒に旅をするうちに主人公と姉の方が良い関係になりそうになる。
夜、二人っきりで酒を飲みながら話しているうちに、昔話をするようになる。
非モテの主人公でかつアメリカの話だから学生時代のうちに男女間でのイベントがいくつもあるわけで、そういうイベントで主人公が女の子達に相手にされなかったと言う話をすると、姉が怒り、主人公にその時の苦しみを償ってやると言って、主人公とチークダンスをはじめ、主人公はついにファーストキスをする一歩手前にまでいくが...
もちろん、ファーストキスにはならない。こういうオタ系主人公のコメディは基本成長物語なので、女の子と結ばれるのは最後の最後、試練を乗り越えた後になる。
なのでそれは当然なんだが(そして最後に結ばれるのも当然)、俺がこのシーンにとても強く惹かれてしまった。
それはこの姉が主人公の痛みをはっきりと認識し、そしてそれを今、償ってやる、と言葉にしたからだ。
同様のシチュエーションの映画は一杯あったし、最終的に非モテの主人公が女性に認められ受け容れられるのは娯楽映画として当然なんだが、その主人公達のかつての苦しみを女性が理解・共感し、それを償い・癒すと明言したことってあったなか?
この事をしつこく書いているが、それはこのシーンで一時期増田に出没していた「30過ぎてからモテても仕方ない」の非モテ達の事を思い出したからだ。
個人的には30からでも40からでもモテルならありがたいじゃないかと思うのだけど、俺も非モテなのでその感覚が全く分からないというわけじゃない。
彼らは30過ぎてから来る女は金や社会的地位の為によってくるだけで虚しいし、かつて持ちたくても持てなかった経験は今更どうにもならない、という。
そりゃ確かに10代の頃の彼女との経験など今更どうにもならないだろう。
しかし真剣にそれをいまになって求めるなら、それは愚かというものだ。
かつての非モテも、もう当時の痛みが風化して笑い話に出来るものいるだろう(俺は一応こっち)。
だが、まだ痛みを感じ、あるいははっきり覚えているものには、痛みがなかったかのような対応は傷口に塩を塗るようなもので納得できないこともあるだろう。
そして俺も当時の痛みがまったく疼かないわけじゃない。
もちろんそういった非モテの10代の時の痛みを与えた女性達と30過ぎてから知り合う女性達は別人なわけで仕方がないんだけど、人間の心はそんなに簡単じゃないよな、とは思う。
そういう頑なな非モテ達の心を癒すためには、この映画で描かれたようなシチュエーションが必要なんだろう。
だけど現実にはそうはなかなかならない。理解されず、そして償ってももらえるわけはない。
別人の女性達に償ってくれとか言ってしまったら、まさにアホかといわれるだけだろう。
だから傷は消える事はない。ただ傷がふさがり、痛まなくなるだけだ。醜い傷跡を残して。