2010年08月19日の日記

2010-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20100819142943

まだ相手が好きだというのが男なら諦めつく。でも相手が女性好きだと言われた時の絶望感と言ったら。

一度なら単なる断りの文句だろうと諦める。二度目ももしかしたらそうなのかと。でも三度以上続いたら。そして決まりの「男の中では一番好き」というセリフ

だから今惚れている相手にも告白するのが怖い。

けいおん」観てて思ったこと

私立の女子高は金持ってるなあ

がっかりだ、

とてもがっかり

才能も無く、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、

努力する人間の足しか引っ張れないような奴は、

目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、

口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ。

ハメ撮りさせて、なんて言われると女性は引くもん?

理由は、お互い忙しかったり体調悪かったりでできない時あるじゃん。そういう時こっそりAVで抜いてたんだけど彼女以外の女で抜いても面白くない。彼女オカズにしたい。

小町あたりで質問したかったんだけどあそこは自由に投稿できないからな(担当者に読まれて却下される)。

お金を稼ぐ一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること

http://rionaoki.net/2009/12/2130

http://anond.hatelabo.jp/20100819153128

水よりもアルコールのほうが安いとか?そんなわけ無いか。

あんまり底辺過ぎると苦悩してる暇すらないとかかな。

彼氏が出来てから見知らぬ人からお見合い持ちかけられたりナンパされる事が続く。

髪染めてないし、露出度低い服きた地味な女なのに何故…。

何か隙でもあるんだろうか。

食い逃げは悪いことだと思うけど

違法動画を見ることが悪いってのがどうしてもわからない。

ネットに書いても「バカ」「頭おかしい」とか言われるだけで誰も教えてくれないんだよな。

愚痴

結局ど~なったのかよくわからないことが多すぎる:民主党政権

あれだけ大騒ぎをしておいて、近頃さっぱり報道しないマスゴミも悪いとは思うけど、

民主党政権のやろうとしたことややっていることの途中経過又は結果が全然見えてこない。



八ッ場ダム建設中止問題

建設中止を決めたようだけど、実際に全面的に工事は中断しているのか、

一部関連する部分の工事継続しているのか、よくわからない。



普天間移設問題 ~ 鳩ポッポ、辞めて終わりじゃ無責任

これは結果が出ていない長期的な問題なんだけど、鳩ポッポが県外移設と騒いだ根拠を

徹底的に追求するべきだと思う。徳之島も巻き込み島民同士の仲たがいもさせ、

結局「出来ませんでした、辞めます」じゃぁ責任を取ったことにはならないし、

しかも北方領土問題を挙げて明言していた議員辞職もしない方向で進んでいるのはいい加減すぎる。

同盟アメリカとの交渉も出来ない奴にロシアとの交渉なんて出来るわけがない。



事業仕分け

仕分けしたことによる最終的な結果がわからない。縮小、廃止等いろいろ取り上げられたけど、

実際にどれだけカットしたのか明示しないのは妙。少なくとも昨年行った第一弾の結果は数字で出すべき。

ほんとに仕分通りの結果になっているのかかなり疑問。



消えた年金問題

途中経過ぐらい報告しろ。無理なら謝って辞めろ。



結果が出ているのか出ていないのか、出ているなら公表し、出ていないなら途中経過を発表しろ。

http://anond.hatelabo.jp/20100819154603

一回断られてからが本番ってあながち間違ってないと思うんだがどうかな

もういいやってなったらそこまでだから次に行こうぜ!

直後は確かにつれーけどな

http://anond.hatelabo.jp/20100819154225

でもカラッと明るくそばにいてやればふとしたときにお前の重要さに気づいてくれると思うぜ。

この人はそれに疲れたんですよ。たぶん。

http://anond.hatelabo.jp/20100817010001

ティッシュ100枚使うなんて、心育ちすぎwwwwwwww





ばあちゃんきっと笑顔でみてるよ

叶うわけないと挑戦すらしなかった夢を、本当に諦めたのはいつですか

いつからだろう、何か本気で取り組んでみたい物事を見つけるたびに、わざとそれを避けるようになったのは。

できないからやらないのではなく、したくないからやらないのでもなく、したいけどやれない。

こんな矛盾した気持ちを抱えているのは自分だけではないだろうと思う。


僕は小さい頃からスペシャリストよりジェネラリストに憧れた。

自分だけにしかできない何か一つを持つよりも、自分は何一つできないことなどない。

そんな人間になりたかった。

個性なんてお断り。個性なんて背負えば他が潰れてしまう。なるべく平らで均されていて、でもそれぞれか程良く高い。

そんな優秀な人間になりたかった。なれると思っていた。


どんなことでも経験してみたかったし、どんなことでも知りたかった。

何も華やかなことや凄いことだけじゃない、苦しく汚らしく嫌らしい、そんな何もかもを体験していきたかった。

そして自分のそうした好奇心がいずれは自分を大きく立派な人物に成長させるのだと信じていた。

小学生も高学年になればあの頃に特有の万能感もだいぶ薄くなっていたけれど、この好奇心があれば自分大丈夫。人とは違う。

そう思えた。


中学生にも上がるとだんだん世の中が見えてくる。

少なくとも僕は一握りの才能をもって生まれた人間ではないということに気づく。

物語にでてくるような何でもできるスーパーマンにはなれそうもない。

それでも没個性への志向自分好奇心が強いという核にブレはなかった。

けれど、実際のところそれは心の持ちようでしかなく、

好奇心が強く色々なことを経験したかったはずの僕は、何か行動を起こすというのにはいつも消極的だった。


歳を指折り数えられなくなった頃、世界は大きく広がった。

自分の手が届く範囲だけでも見落としてしまいそうなくらい小さなものから、すぐに目に付く大きなものまでたくさんの選択肢がある。

そのそれぞれから続く道は更に遠くどこまでも伸びてゆき、いくつもに枝分かれしている。

多くの友人が一番大きく太い道を、特別な何かを持った幾人かはそっと違う道へと逸れていく。

僕はというとあれもこれもと言っているうち、とうとう時間がなくなってしまいしぶしぶ皆と同じ道へ。

そうしてそんなことが何度か繰り返され、大きかった道もだんだんと狭まっていき、仲間も減っていく。

結局僕は目移りをしていただけだ。

寄り道することも、それらに触れることすらもなく綺麗に舗装され踏みならされたその道をまっ更な靴で歩いている。


気づけば大学4年生。

何にも挑戦することなく、もちろん何の実力もなく、周囲と自分を騙し騙し生きている。

あと半年

人生モラトリアムを終え社会に一歩踏み入る準備期間。

これから待っている残りの人生子供のころ憧れていた僕とは程遠く、思い描いていたものとはだいぶ違ったようだ。


本当にしたいことが、やってみたいことがたくさんあったのに。

何一つ手をつけることすらしてこなかった。できなかった。

決意を新たにし、覚悟を決めたのは10回や20回なんてものではない。

何百、何千回と心にリセットを掛け、道具や思い出を大切なきっかけに見立て、人に伝えることで退路を絶った。

しかし、それが行動に移ることはただの一度もなく、代わりに腰についた鎖だけが重みを増し、より立つことを困難にしていく。

自分は何かに挑むことが、何かを頑張ってみることが、それができない、そういう生来の特徴を備えた人種なのではないだろうか。

そんな風に考えるようになっていく。


でも、本当はそれでよかったのかもしれない。

挑戦しても、頑張ってみても、成功することなんて滅多にないのだ。

わざわざ敗北者になりたいの。どうせできっこない。

今の自分を、今までの自分を認めてあげようよ、自信を持とうよ。

そんなことを考えてしまう自分の心がどうしようもなく気持ち悪くて、自ら作った防護柵をがしがしと音を立て壊していく。

そうして残った自己嫌悪だけはしっかりとそこに根を張り、

ああ自分ダメ人間なんだ、と諦めの念ばかりが強まる。

自信や自己実現なんて成功に必要な好循環からは遠ざかる一方だ。


常に揺らぎを持って自分を定位置に留めていたくない。

理想はそうあったのに、口だけなら今でもはっきり言える。

でも、現実はほんとうに同じような毎日の繰り返しで、決まって同じ場所にぽつんと立つ自分がいる。

なぜここまで心と体で乖離できるのだろう。

こうして日々を過ごしていけば、嫌でも自分というものがわかってくる。

自分に何かの才能がないことを知った時よりも、自分にはスタートラインに立つ勇気さえないと気づいた時の方が何倍もショックだった。

思いが行動に繋がるにはほんとうにいくつもの壁がある。

周りの人間がひょいとその壁と軽々しく飛び越えていくのを見るたび、より壁が高くなったように感じられる。


しかし、僕も来年には社会人となる。

こんな気持ちは学生ありがちなものとして、いつしか忘れることができるのだろう。

中二病というやつをこじらせてしまっただけなのかもしれない。

でもいつなのだろう。


これまでも幾度かあった。

心のなかで燻っていたものがいつの間にか消えているのに気づいてしまいそうになることが。

違う。まだなくなってはいない。

そんなように感じるだけだ。

でも、まだ確信ではないのだけれど。

それを確かめるのが怖い。

認めたくない。

そうしているうち少しだけ、ほんの少しだけ息を吹き返す。

それを感じ、まだ自分には願い想う心だけは残っているのだと、ほっと心底安心する。

でもいつか本当に消えてしまう日がくるのだろう。

いつなのだろう。

挑戦したいと思う気持ちまでもがきれいさっぱり消えてしまい、可能性すら失うのは。


願わくば自分がこれを書いたことをきっかけとして大きくそして初めての一歩を踏み出さんことを。

http://anond.hatelabo.jp/20100819142943

それはつらいな。

でもカラッと明るくそばにいてやればふとしたときにお前の重要さに気づいてくれると思うぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20100817035258

うちは俺も奥さんも毛深い。お互いに「結婚したら子どもは毛深いだろーなー」なんて言って笑い合ってたよ。

そして生まれた子どもはほんとに毛むくじゃらだったよ orz


ちょーかわいいけどな。


つまりそこは、「君みたいな小さくてかわいい子が生まれてくれるといいね」って言っとけ、ってことだ。

バカの考え休むに似たり

今日朝日の「声」欄の一本目に、田丸安正「あの大戦名称 統一できないか」という投書がある。内容はこうだ。

俳句の例会であの戦争をどう呼ぶか聞いてみた。結構の数出た「大東亜戦争」は敗戦後あまり使われない。「第二次大戦」では日本が関わっていない欧州戦争も含んでしまう。「日中戦争」では対米英戦争が、「太平洋戦争」では対中戦争が含まれない。「15年戦争」も「昭和戦争」も感覚にあわない。そろそろ呼称の統一をすべきでは…

まったくもってどうしようもない意見だ。"「大東亜戦争」という答えが結構あった"のはそれが本来の統一呼称だったからであり、実態にも即しているからに決まっている。

もちろん「大東亜戦争」をあげた者たちも、あの戦争が大東亜をどうしようという「美しい」目的で行われ、かつそれが何を招いたか、を知った上であげているはずである。そして「あの戦争はすべきではなかった」と思っているはずだ。

「声」欄を引用する。

これまでは、あの戦争の体験者が多く、それぞれが何らかの強いこだわりを持つがために、国民の大多数が賛同できる呼称を求める余地がなかったのではないか。

違うだろう。統一呼称の「大東亜戦争」を否定する「強い拘り」のある者が、大多数を押さえつけてしまったのだ。

戦後の一時期GHQ(実質、米軍)は原爆被害の報道も禁圧。「大東亜戦争」はその言論弾圧の一環として使用が禁止された。言論の自由を叫び、反米姿勢の強い左翼革新人士が米軍のこの言論弾圧共犯者であることに彼らの不誠実と無知が表れている。

大東亜戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、その評価とは別だ。他でも書いたが、私は全共闘学生だった頃、ベ平連指導者小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があったことを教えられた。同時に、この戦争理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識も揺るがない。かかる矛盾した戦争性格は「大東亜戦争」の名称であってこそ読み取れる。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081004/acd0810040331001-n1.htm

ロシア文学を読んでいて思ったこと

こいつら貧乏貧乏言ってるくせに酒飲みすぎ

http://anond.hatelabo.jp/20100819145507

大阪市内通勤だと無理だろうな……

自転車通勤してはいるがどうも激しく運動しているという気分にはなれない。

ちなみに往復で1時間ぐらい。

エアコンの温度設定の戦略

間違ってる人いませんかー?というか、俺の部署の人が完全に間違ってるんだけど。

外が熱いからガンガン冷やすために温度低めにして、外がそれほど熱くないときは温度高めにしてる。

で、結果、外がそれほど熱くないときの方が室温が高くなって不快なんだよ!

どんな時でも室温を一定に保つか、外が熱い時ほど設定温度を高めにして外気温との差を小さくする、これが正解。

性格が良い女性は放っておいても幸せになる法則存在するはずですが…。

http://anond.hatelabo.jp/20100819144328

ちゃりんこいいね。

今度から軽いギアでこぐよ!

http://anond.hatelabo.jp/20100819143528

自転車は常に空冷状態だから筋肉が熱を持たないのと

慣性が効くから、多少波があってもいいのが出力エネルギーのわりに疲れない理由かも

徒歩やジョギングで波があると、止まるかロスするだけだし

ドストエフスキーを読んでいて思ったこと

辛辣表現が、これでもかとバシバシ出てくる。

生ぬるい人間関係ではない。登場人物のほぼ全員が何かしらの悩みを抱えていて、自分信条に沿って強く疑心暗鬼だったり、逆に優しかったりする。

海外文学ではもう新しいことのない古典中の古典だが、今時の作品でドストエフスキーを超えるものは中々ないのだから今読んでも新鮮だ。

http://anond.hatelabo.jp/20100819144643

俺も最初うそだろーと思ったけど、検索したらほんとみたいだ。

時速とか記録するやつつけたり、移動距離と時間あとで見直したりしてるけど、平均して時速20kmくらいでてるよ。

最高速はもっとはやいよ。

多分、住んでる地域的に飛ばせる道路多いからチャリダー向きなのかもしれない。(@札幌)

ごみごみしてる街だと20kmでないかも。

http://anond.hatelabo.jp/20100819140945

たぶん、だけど「萌え」の文脈に近いと思うんだよ、そういうの。

誰にも注目されないものを、愛でるというか。

で、それが思いのほか同世代に共感者が多いというか。

それで一大勢力築いちゃうぜ、みたいな。

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