2chは板によって結構違うと思うけどね。そのへん。
シェアの違いをもたらしてるのは先行してたかどうかでは?
>無駄に歳食って妙な知識と屁理屈を身につけてるところが2chとの違いじゃねーかなあ。
これって2ちゃんも同じだろう。
はてぶがつきやすいとか後で編集できると言うのが結構違いを作ってる気がする。
俺はそれを律儀に守り、しばらくイラレ形式で版のデータを作成していた。
ベジェの使い方でずいぶんと苦しんだ。これどう操作するんだろう、ああ線と塗りが色が違うせいでああだこうだ、とずいぶんと引っ張られた。
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しばらくして、俺はイラレを使わなくなった。
理由は明白だ。
デザインに慣れてきて、もっと細かいデザインを求めるようになったからだ。するとベジェではかえってデータが重くなった。
4色分解とかやったりするともうアウト。
結局、ベジェだとある程度凝ったイラストはイラレの処理範囲を超える。
なので、ベジェを「仕方なく」やめて、フォトショで作業するようにした。最後の最後でイラレ形式で吐き出す、そんだけだ。
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はっきり言えば、フォトショに変えてから作業効率がものすごくあがった。更にイラレでは出来なかった細かい模様も描けるようになった。
全体的に処理が軽い。自由に選択範囲が決められる。追加削除がサクっと出来る。イラレでは出来なかった事がフォトショだと「楽に」出来る事が多い。
Tシャツイラストの版なので、1色から3色までしか使わない。そういった「くっきり」したイラストはイラレの専門だと思っていたが、逆にフォトショの方が楽だ。
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今でも時々「イラレを極めよう」なんて記事が出るけど、多分、フォトショを極めた方が楽な上にいいものが作れると思う。
適材適所だけど、イラレはずいぶんとその専門分野が小さくなったと思う。
まぁ、どこかでイラレの使い方を習ったわけじゃないんで、単に使いこなしてないだけかも知れないけどね。
日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。
まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。
しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。
http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html
例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。
オレにはその絶妙なセンスがツボで
「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか
「ついに岡村ちゃん使ってきたかあ」とか
毎回楽しみにしていて連戦連勝ですべて当ててきたのだが
去年の秋ごろに初めて「・・・知らんなあ・・」となった。
後悔した。やはり醜い。スノッブとはこいつのことを言う。
何が醜いかというと、モテキの作者がただ見栄えをよくするためだけに楽曲タイトルを引用する態度と
その引用元がわかることに喜んでしまうという読者との共存関係だ。
同じように注目されているマンガで『ザワさん』というものがある。このマンガでも全く同じ現象が存在した。
それは耳にイヤホンを指している男子高校生に対して矢印書きで書かれた「伊集院のラジオを聞いている」という文字だ。
「そんな高校生、今どきいるか」という二重の意味で驚愕したのだが、本当の問題はそこじゃない。
この引用は作品のクオリティに何の影響も与えていない。ただただ、作者が好きなものを作品内で提示したにすぎない。
わかってる奴だけが気づいて不気味にニヤリと笑うだけだ。この醜悪な一連の行為はいったい何なのか。
はっきり言うと「私はあなたの仲間である」というマーキングにすぎない。
ザワさんで言うと「私は伊集院のラジオを聞くような人間です」「伊集院のラジオが好きな人は仲間です」というメッセージ。
作品内にわかる人間だけがわかる符牒を忍び込ませ、その意図は仲間意識を強めるためだけ。
これはニッポンのサブカルチャーのもう至るところに散見される。
例えば映画秘宝文化圏。こいつらはやたらと「俺たちボンクラは」という言葉を連発する。
「ボンクラ」というキーワードだけでただ連帯している。このような囲い込みは排外主義を伴なう。
事実、映画秘宝は「ボンクラ」というキーワードに引っかかる人間だけを相手し、
お決まりの作法を繰り返して、自分たちの文化圏外を口汚く批判するだけでゼロ年代を終えた。
現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉や引用を散りばめるだけで成り立っている。それが最近の貧困さの原因でもある。
最近のサブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、
本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。そんな人間が日本の文化を滅ぼすんだ。どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。
島本和彦が『天元突破グレンラガン』を評した言葉を紹介しよう。
ピンクフラミンゴを観たくなったじゃないかw
ウンコとかオシッコとかなのは増田も同じだけど、無駄に歳食って妙な知識と屁理屈を身につけてるところが2chとの違いじゃねーかなあ。
どうも体重といいディヴァインを思い出すな。
http://anond.hatelabo.jp/20100210012057
しかしまあ、なんでこうみんなおかしな人間を書くのが上手かなあ。
「なぜ我々が陵辱嗜好を持たざるを得ないのか」っていうのがすごい。
共通認識なんだ。
元増田が本当におかしな人間かどうなのかを、一応そのテキストから探ってみる。
「現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できない」
おかしな人ならもうちょっと話が飛躍するもんである。
例えば、「あの人は犯されたがっている」とか「ぶたれて喜んだ」とか。強姦しかできない、何て言わない。強姦したいからしたって言うもの。
この中途半端な飛躍が、結局の所周囲の注目を集めるのだろうけど。
「問題は自分に出はなく相手にある」という趣旨は、一貫している。
多少ひねた人間なら一度は通る道。
「それがわかるからゲームの中で女どもに暴力を振るって発散するしかないのだ 」
ここにまた飛躍がある。面白いことに「ゲームの中で」という単語が話を中途半端にしてる。
そこまで陵辱エロゲ好きなんだってのが、非常によくわかる。
そうか、好きか。なるほどなあ。
思考の組み立てで考えれば、たぶん逆なのだ。
つまり「俺、陵辱系エロゲが好き」→「なんでかって言ったら超非モテだから」→「あんまり非モテだから、和姦なんて想像できない!」なんじゃないかと。
この辺は不可逆だと思う。
最近はちょっとよくできた陵辱系エロゲがあって、ぶったり鞭くれたりしているうちに異様に興奮したりしてくる。
でもそういうのに快感を感じるのは、真っ当な趣味思考ではないなという自覚はある。
腹から血を流して死んでいくジーパン刑事に勃起した、とかお前ちとおかしいよと思うだろ。痛いのは嫌いだが、血とか負傷好き。自覚はあるの。
だから陵辱系エロゲでないとイけない人、というのは元々素養があると見ている。
強姦好きは女嫌いなわけじゃない。はた迷惑だけれどそれが彼らの愛し方で、だから女が憎いけどセックスしたいから強姦するというのには、いろいろと矛盾がある。
まあ陵辱好きはマイノリティ趣向だから、救済してくれているのは覚悟が足りないと思うなあ。
ここで開きなおるのはヤクザの手法。
ほら彼らも、言ってみればマイノリティだから。
同僚が休憩中にその手のキナ臭い話していたわけよ。
俺はアングラはアングラであっていいと思うし、自己責任で何をやるのも勝手だと思うぜ。真っ黒な背景のサイトでは大いに議論してもらっても構わない。大いにやれと言ってもいい。
だが、それをリアルに言っちゃうのはおめでてーな、としか思えない。言っていい場所と言っちゃいけない場所の区別は付けよう。社会的な空間は明らかに言っちゃダメな空間だろう。その手の自慢はmixiでやれ。そして炎上しろ。
ちょっと前はもう少し区別出来てた気がするんだが、最近どんどんなし崩しになってねえか?
おめーみたいなのがいるから、知らない一般人までどんどん巻き込んで、倍々ゲームで一緒くたに全滅だ。おめーは「タダでゲームできてる俺すげぇ!」という自慢をしてーだけかもしれんが、回り回っておめーの首を絞めるぜ。
いや、元々おめーはゲームなんてどうでもいい人間かもしれんがな。その自慢話で「きゃー、すごいー」とか感嘆してた女と仲良くできりゃそれでいいんだろうからな。
何をそんなに怒っているの?