50カラムもあるテーブルに1000万件て。しかもテーブルAからレコード引っ張ってきて処理した上で、さらにBからレコード引っ張ってきて、さらにCから・・を6回も繰り返すとか。
いや、基本的には、性能用件を綿密に聞かなかった俺が悪いわけだけど。
いや、でもアンタも、エンドユーザーから仕事もらってる立場だろ? この規模だと性能ヤベェとか普通に気づいてたんじゃないの?
聞かなきゃ教えないとか、アンタも相当だな。
一緒にデスマろうぜ、なあ。
俺が書いたのかと思った
いや、男ってみんな一度は考えたことあるっていうか、妄想するよね
知人の裸とかセックスを見たいと思うし、それが見られれば興奮するでしょ
増田だから書けることだけどさ
体制側に阿るのって気持ちいいもんな。
やっぱりそうだったのか
「徹夜禁止とか、事前に告知が無かった(怒)」て。
「ありのままのお前を好きになれっていうのは甘え」とか「結果を出せ」とか
色々な人がそういう事を書くから、無理して自分を奮い立たせましたけど、
元のやり方に戻せって言われれば戻せるんですよね。
バランスですかね。
それと俺って女脳なんでしょうねー。
自然体にやってると自分は父性の人じゃなくて母性の人なんだとよくわかります。
弱さは優しさか忌むべきものか。
元彼がTwitterでときどき気持ち悪い
未だに私のことが好きだと公言するが
女と出かけたとか写メとかを載せる
私は嫉妬とか全くないが頻度が多く不愉快だ
しかも女とのいちゃいちゃポストのあとに
「それでも俺には忘れられない人がいる(キリッ」
というポストを定期的に流す
非常にうざいし、リムればいいのだが
彼氏ができたときも「友達経由で聞こえてきた」
「いつ報告があるのかと待っていた」と
恨みがましく、情報は逐一つかんでるアピールをする
放置しておけば身内で悪く言うような気がする
早く当て付けじゃないポストをして欲しいと願う
左右反転にトレスにパクリ…こういう誰でもできる間違い探しで絵を評価してる気になってる人が増えたね。
絵に限らずだけど。
まぁ絵でも何でも、物の見方なんて自由だから、それが楽しいのなら好きなだけ楽しめばいいのだけど、
それを勝手に絶対視して「こう描くべき」みたいなこと言い出すとつまんなくなるから自重して欲しいところ。
他人が楽しんで描いた絵を左右反転で消費して楽しいのだろうか?っていう。
【橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院大教授、内田樹さん
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm
「学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。
確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリのごまかしである。学力がテストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。
日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験に合格したり一流企業に就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。
「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習の時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。
すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義、能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプの子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。
こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。
西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。
ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツでマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。
日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会の流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育が
という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会の流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。
現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。
ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。
そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義の仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。
色々なタイプの子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。
しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプの子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。
僕は社会人5年目、某大手メーカーに開発職として勤務している。
(つっても一次面接の人事部の付き添いみたいなもの。)
を体験してる。
しかしびっくりするくらい「ハァ?」ってな人が多い。
今日はそんな人の紹介。
1:
「僕は○○の資格を取るつもりです」「卒業までに○○するつもりです」
一番多いのはこれ。何で取っても無い資格ややってない行動を面接でアピールするんだ?
そもそも「つもり」って何も保証ないじゃん!!
というかそれ言うくらいだったら、
何で学生3年間のうちに資格取らなかったの?行動しなかったの?
口先だけは逆効果だよ!!
(ここで言う資格てのは簿記とかそういうのね、卒業が取得条件とかの資格はもちろん除く)
2:「何で弊社に興味をもったの?」という質問に対して
「御社の○○○○○(←就職向けパンフレットの文句)という社風に魅かれました!」
嘘こけー!!
いや、いいんだよ、社風に惹かれるってのは、
でも違うじゃん。
こっちが知りたいのは、何で「弊社のパンフレットを取ったのか?」ということだよ。
「○○という製品が好きで」とか
「よくCMでみて」とか
「○○のような製品を開発したくて」とか
「おばあちゃんでも知ってるくらい大手だから」とか
「給料高そうだから」とか
「知らなかったんですけど、合同説明会でご縁があって」
といった本音っつうか、本当の動機だよ。
絶対こっちのほうが好感持てる。
社風とかいう人に対する次の質問はこれ
「なぜ弊社が○○という社風だと知ったのですか?」
「インターネットで見ました」
「なぜ弊社のサイトを見ようと思ったのですか」
「えっ…。」←給料が高そうだと思った的な発言はやましいと思ってて言えない。
ほらー、ボロが出た。
正直に言えばいいんだよ。給料が高そうだと思ったなんてやましくない。
「給料」なんて最も選ばれる選択基準だよ?
やましいことなんてなんもないよ!
まあ何が言いたいかって、
面接では正直に言いましょうってことだね!