ここ数年の時代の流れに全くついて来れてないんだな…
具体的だろ。
もっと手とり足とり懇切丁寧に教えろってこと?
服はどこどこで○○っていう××円のジーンズと△△っていう□□円のシャツと…を買って、髪は○○っていう美容室で××コースでって言って△△って指示して切ってもらって、立ち振る舞いは○○を丸暗記して一から十まで真似すればよくて、女の子に会うには△△に行って××をすれば平均n人と会えるから一人ずつ声を掛ければよくて、声の掛け方は□□で…、みたいな感じじゃないとわからないってこと?
昔は新規0円が当たり前だったと思うのだが、今買おうとしたらどの機種も6万とかかかる!(0円なのは分割の頭金だけ)
何が起きたの?
このデフレの時代にそんなんで売れるの?
しかし、司法にはほとんどなかった
最近は説明責任を果たせと言って怒る人が増えた。この場合、何が恐ろしいかと言うと、説明をしていない、といって怒られるのではなく説明する責任を果たしていない、といって怒られるのが恐ろしい。
それのどこが恐ろしいかと言うと、例えば「午飯にすうどんを食べた」ということについて説明するのであれば「すうどんを食べたかったから」と嘘偽りない正直な気持ち、そしてまた事実を述べれば済む。しかし、説明責任となるとこれでは済まず、世間が納得するまで、ということは世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得し、気に入って満足する説明が出てくるまでずっと責任を取り続けなければならないというところが恐ろしい。
さっきのすうどんの例で言うと「すうどんを食べたかったから」と説明しただけでは説明責任は果たしたとみなされず、さらなる説明責任を問われる。
「なぜ、わざわざ味気ないすうどんが食べたかったのですか。おかしいじゃないですか。なぜ天ぷらうどんにしなかったんですか」
「実はお金がなかったのです。お金がなかったのですうどんで我慢したんです」
「なぜ、お金がなかったのですか」
「そんなことまで言うんですか?」
「当然です。説明責任というものがあります」
「昨日、お金を遣い過ぎたからです」
「何に遣ったんですか」
「それも説明責任ですか」
「そうです。説明責任です」
「・・・・・・ソープランドというところで遣いました」
「それはなにをするところですか」
「なぜ、そんなところに行ったのですか」
「・・・・・・申し訳ありません・・・・・・」
「それはあなたが人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからじゃないのですか」
「はあ?聞こえないんですけど」
「そうです」
「わかりました。ではあなたの口から説明責任を果たしてください」
「はい。私が午飯にすうどんを食べたのは私が人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからです。申し訳ありませんでした」というところ、すなわち世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得、気に入って満足する説明が出てくるまで説明しないと説明責任を果たしたとは言えないのである。恐ろしいことである。
そのちょっと前は自己責任ということをいう人が多かった。似た言葉で自業自得という言葉が昔からあるが、自業自得が、あくまで自分単独で行なった行為による責任を指すのに比して、自己責任というと、それがたとえ法律の不備や偶然の不幸や運・不運みたいなところにまで拡大して、自分の身に起きたことはすべて自分が決定したことゆえ、自分ひとりで責任をとらなければならない、というニュアンスを帯びて恐ろしい。
町田康 北海道新聞夕刊コラム 2009年7月7日 http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51326828.html
昔からの癖で自分を偽ってしまう。
些細なことで嘘を言う。
世の中には本当のことを言わないほうがいい場合が結構ある。
社会に出てきて特にそう思った。
趣味を聞かれても当たり障りのないものを言ってしまう。
個人的な情報は極力シャットアウトしたい。
一握りの口の堅い身内だけに本当のことを話したい。
人付き合いが悪いかというと逆に凄く多い。
年齢性別を問わず、多くの人と交流している。
自己防衛としての行動なのかもしれない。
勿論、話してしまって引かれたこともある。
最近は気をつけて出さないように、選んで話すようになった。
けれども、自分自身がどんどん薄まっていくような気がしてる。
本音を内側に溜め込んでいた時より、自分がなくなっていくような気がする。
一度、気楽に人と話す魅力を知ってしまった自分は
濃厚な内面を保っていた昔に戻れるのだろうか。
あるいは戻りたくないのだろうか。
絶対もう色々ばれてると思いますよ
参考になるかどうか分からないけど。
多分、上(目標)を見た方が良いと思う。
文章の話になるけど。
まず、自分の好きな作家や目標とする作家の良いところを見つける。(全然作風が違う人でも良いので)。多分、それが自分の目指すべき方向性のヒントなんだと思う。自分が良いと思った作品には、この人には出来て、自分では逆立ちしたって出来ない表現(描写)があったり、逆に自分だったらこう表現するのにとか、もっとうまく表現できるとかそういう部分も見えてくると思う(もちろん、実際書いて(描いて)みて、想像と違っていたり、想像通りだったりして、修正していく)。異差が個性であるとするならば、そういう作業を続けることによって、自分だけにしかできない表現に近づいてくるんではないかと思う。絵も似たような物じゃないかな。違うといわれればそれまでだけど。
25歳。生涯二人目の彼女と交際中。
彼女のことが大好きで一緒に出かけたり食事したりするだけで嬉しい。
すごく焦った気持ちになって、膝が床についてないみたいにフワフワする。
焦りすぎて頭がボーっとすると言うか考えが真っ白になって
必死にやることをやっている感じ。
でも慣れてきてるしちゃんとやれていると思う。
セックスするのが勿論嫌いじゃないけど
毎回よくわからなくなるぐらい焦るので辛いし苦しい。
一度何故か見ようとされたので咄嗟に変な風に断っちゃったことがある。
というか変なことはたくさんしてて、自分で気付けてないだけかもしれない。
セックスについての話になりそうだった時が2回あって
全速力で察知して僕からさりげなく話をそらして逃げた。
話の流れでたまたまそうなったのか
でも彼女は何か不審さや不自然さを持ってるんじゃないかという気が最近する。
もう一度そういう話になったら彼女が不審を持ってることと
意図的にその話を振っていることは確定する。
その時はもうすごい変な風にしか話をそらせないと思う。
そうすると僕がすごい焦ったりして変なのが彼女にバレる。
またフられるのかもしれない。
もうどうしたらいいかわからない。
俺と友達になろう
「自分と似たところがあるから好きになる」
「自分と似たところがあるから嫌いになる」
同じような作風を見つけると心がザワめく
オリジナルばかりだが色合いなどに傾向が出る
新作があがるたびに全作品に1点を入れてしまう
似ているから消えて欲しいと思う人もいる
業界から消えて欲しいと思う
若い子が作品を公開するたびにイライラする
自分のファンだという人も作品を作り始めて
似たような絵を「下手ですが・・・」と見せてくる
競争相手が一人でも減らないかで心が濁って
自分は作品が仕上げられない
どうすればいいんだろう
友達を作ろう