最近は説明責任を果たせと言って怒る人が増えた。この場合、何が恐ろしいかと言うと、説明をしていない、といって怒られるのではなく説明する責任を果たしていない、といって怒られるのが恐ろしい。
それのどこが恐ろしいかと言うと、例えば「午飯にすうどんを食べた」ということについて説明するのであれば「すうどんを食べたかったから」と嘘偽りない正直な気持ち、そしてまた事実を述べれば済む。しかし、説明責任となるとこれでは済まず、世間が納得するまで、ということは世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得し、気に入って満足する説明が出てくるまでずっと責任を取り続けなければならないというところが恐ろしい。
さっきのすうどんの例で言うと「すうどんを食べたかったから」と説明しただけでは説明責任は果たしたとみなされず、さらなる説明責任を問われる。
「なぜ、わざわざ味気ないすうどんが食べたかったのですか。おかしいじゃないですか。なぜ天ぷらうどんにしなかったんですか」
「実はお金がなかったのです。お金がなかったのですうどんで我慢したんです」
「なぜ、お金がなかったのですか」
「そんなことまで言うんですか?」
「当然です。説明責任というものがあります」
「昨日、お金を遣い過ぎたからです」
「何に遣ったんですか」
「それも説明責任ですか」
「そうです。説明責任です」
「・・・・・・ソープランドというところで遣いました」
「それはなにをするところですか」
「なぜ、そんなところに行ったのですか」
「・・・・・・申し訳ありません・・・・・・」
「それはあなたが人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからじゃないのですか」
「はあ?聞こえないんですけど」
「そうです」
「わかりました。ではあなたの口から説明責任を果たしてください」
「はい。私が午飯にすうどんを食べたのは私が人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからです。申し訳ありませんでした」というところ、すなわち世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得、気に入って満足する説明が出てくるまで説明しないと説明責任を果たしたとは言えないのである。恐ろしいことである。
そのちょっと前は自己責任ということをいう人が多かった。似た言葉で自業自得という言葉が昔からあるが、自業自得が、あくまで自分単独で行なった行為による責任を指すのに比して、自己責任というと、それがたとえ法律の不備や偶然の不幸や運・不運みたいなところにまで拡大して、自分の身に起きたことはすべて自分が決定したことゆえ、自分ひとりで責任をとらなければならない、というニュアンスを帯びて恐ろしい。
町田康 北海道新聞夕刊コラム 2009年7月7日 http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51326828.html
なぜか会話の部分が蓮舫ボイスで再生されるぉ