「壁を壁と見せない技術」というのがこの世にあると信じられない人。
壁は壁なんだよ。
どんなに才能あったって、WPSの認証方式をすらすら理解できる人間なんてこの世に居ない(居たらAtheros社とJumpStartのシーケンスの反故が存在してる理由にならんし)
元を読んでないので何に怒ってるのか分からんけど
「ここはあなたの部屋じゃありません」と言う人がいるけど、意味わからない。
あなたの部屋でもないじゃん。我慢しろよ。気に入らなくても。
あなたの部屋でもなく私の部屋でもないので、お互いが妥協し合いましょう。って点が「マナー」というものだろ。
「そんな体験は面接では話さない」というのが最適解
帰り道、不良20人に取り囲まれて
泣きながら財布を差し出したのにぼこられた話があったとして、
そんなものを聞かされて採用しようと思う?
逆に20人返り討ちにして血の海ができたという話の方がいいの?
もしベターな回答があれば教えて欲しいわ。
「となりには」ってんだから同じトコでランチ食べてるんだよね?
だったら何を妬む必要があるのか分からん、同レベルの生活水準じゃん。
それを外から見て…とか、隣の吉野家から見て…ならまだしもさ(まー私だったら別に自分が吉野家でも惨めに思わんけど)。
大体さあ、これ羨んでるのは違う増田もいってたけどいわゆるプチセレブみたいな奥様連中だけでしょ?
結婚してないし負け組だ…orzな事いってるけど、じゃあ「年収200万代で、でも妻には専業でいてほしいっていわれたから専業になったけど金もないし、夫はパチにハマってるし、子供の世話と家事に追われて化粧の一つもできやしない」みたいな奥さんを妬ましいとか思うかっていったら思わないわけでしょ?
「結婚したはいいけど、夫は結婚後家事を一切やらない、共働きなのに家事は自分ばかり、しかも子育ても自分ばかり、もう過労で倒れそう。でも夫は何も手伝ってくれないし、子供がいる今離婚もできない」なんて奥さんを羨ましいとは思わないわけでしょ?
別に結婚してるかしてないかが重要なんじゃなくてさ、結局は「働かないでこんなランチとか優雅に食っていられるセレブうらやま」ってことなわけでしょ。で更に突き詰めればそれはたんに「金持ち羨ましい」なわけで、負け組とか彼氏がいないとか実は関係ないでしょ。そりゃ働かずランチ優雅にくってられるような金持ちなんて誰だって羨ましいわwwwwwww結婚していようがしていまいが男だろうが女だろうがうらやましいわそりゃwwwww女子高生が「マリエに比べたら自分は負け組」とか言ってるようなモンじゃないの?それ。
「ここはあなたの部屋じゃありません」と言う人がいるけど、意味わからない。
あなたの部屋でもないじゃん。我慢しろよ。気に入らなくても。
なんだ、ハトヤっていうのはそんなにぼるのか。だったら女連れで行こうぜよ。
患者のことを「クランケ」というブームが定着しなくて本当に良かった。
クライアントのことを「クライエント」というブームが定着しませんように。お星様にお願い。
本当は依頼人のことをクライアントというのだけでもちょい嫌なんだけど。そこはもう我慢しよう。「クライエント」だけは断固拒否。
働いて気付く人は多いのだ
いかに自分が真っ当な環境で礼儀というものを身に着けてきたかを
それが身に付いていない人が多いのかを
誰か詳しい人教えてくれ
あんまりアニメとか声優とか詳しくないから、よく分からないんだけど、
なんであんなに下手なんだ?
「下手だな」「棒だな」って思うアニメが今までなかった訳じゃないけど、
想像を絶する下手さに、毎週固まってる。
あんだけ酷いのって、何か理由があるのか?
(子供が見てる)前番組の続きでなんとなくかかってる事があるんだけど、
何時も「ありえねー」って思いながら聞き入ってしまう。
引き合いに出す記事の本筋とはまるで関係ないのだけれど。
ほかにも、mobanamaさん、doramaoさん、T-3donさん、complex_catさん、tikani_nemuru_Mさん、 TAKESANさん、亀@渋研Xさんなどなど、地道かつ精力的にニセ科学批判を続けていらっしゃる方々は大勢いらっしゃるけど、彼らが「差別的」言辞を弄するところを見たことがない。批判の対象は、常にだます側、広める側だ。
ここでid:tikani_nemuru_Mを持ってくることだけは同意できない。こいつが「トリアージ」騒動の時にどれほど無理解を露呈し、そして論敵に侮辱を浴びせたことを知っていれば、その評価はあり得なかったはずだ。こいつはただの半可通でしかあり得ない。
こいつと他の方々を同列に出すのは、良識ある他の方々に余りにも気の毒であろう。
「壁」を「実績」に置き換えてみれば良いのではないだろうか。
できるできると思っていても、今までにできた試しの無いことはできるとはみなされない。
http://anond.hatelabo.jp/20090427211534
って思った
壁を乗り越えるのは、困難に陥ったときに人がどう行動するかを判断する上で重要
それを当人がどういう手段で、どう考えて乗り越えるか、それを見ればその人がいざという時に役立つかとかを考える上で重要な判断材料となる
本当に前人未踏の壁に直面したときに、役立つかどうかの判断材料になるし、当人も壁を越えたときの経験を生かすもの
仕事をしていて壁に直面することは避けられないことだから、それをどう乗り越えるかは雇用継続の上で重要なのよ
っていうか社会人向いてないよ…
「何かを達成する」ということが、他者の評価を上げるということだったなら、別に、壁を乗り越えても乗り越えなくても、評価の順位は変わらない。企業は、あなたを捨てて、壁を軽々と乗り越える人を採用するだけ。
今まで生きてきて25年、どうも、俺の考え方が他の人と違っているなぁ、と思いながら、今日、その違いの本質っぽいところにたどり着いた。学校でも、会社でも、目標を作って「壁を乗り越える」ことが評価されるようなのだが・・・
そもそも、壁を乗り越えることに意味ってあるの?
その壁って、すでに他の人が乗り越えたものじゃないの?前人未到の壁だっていう証明はどこにあるの?他の人と同じ壁を乗り越えても、それって意味あるの?社会には人がたくさんいるわけで、あなたが壁だと思っている目標を、軽々と超える人もいるわけだ。あなたが頑張って壁を越えたとしても、それって、何かを達成したことになるのかな?あなたを評価する人・あなたを雇う人から見れば、あなたが壁を乗り越えようが乗り越えまいが、壁を軽々と乗り越える人の方が評価は高いわけだ。「何かを達成する」ということが、他者の評価を上げるということだったなら、別に、壁を乗り越えても乗り越えなくても、評価の順位は変わらない。企業は、あなたを捨てて、壁を軽々と乗り越える人を採用するだけ。
で、そもそも、何で「壁を乗り越えよう」としているんだっけ?壁って何?業績?業績を上げるって、他者からの評価を上げることじゃなかったっけ?あれ?でも、壁を乗り越えても、他者からの評価は変わらないんだよね。企業も大学も、あなたを捨てて、軽々と壁を乗り越えられる人を採用するだけ。結局、あなたは負け犬。
あなたにとって、今やろうとしていることが「壁」である時点で、すでに、もう決着はついているんだよ。競争社会では、壁につまづいて、それを乗り越えたことは評価されないの。壁を壁と思わず、進める人が評価されるの。壁にぶつかった人は、もうその時点で、負け犬なんだよ。壁にぶつかったら、もう、その時点で、評価は決まっているんだ。
でも、負け犬と評価されても、死刑になるわけじゃない。負け犬でも、生きていることは許してもらえる。僕らは怖がりだから、死ぬのは嫌だ。社会には、負け犬のための場所があって、そこで、かろうじて生きることはできる。そこで、社会とのwin-win関係が結べるんだ。社会は、「壁に乗り越えること」なんて求めてないんだよ。壁にぶつからない人を求めているんだよ。社会は、壁にぶつからない才能を持った人だけに用があるんだ。壁にぶつかったら、もうその時点で、社会は、その人に用なんかないんだよ。でも、かわいそうだから、壁にぶつかっても、かろうじて生きていていいことになっている。僕らは、壁にぶつかったという罪を償う代わりに、「生きていい」というお墨付きをもらえる。ここに、僕らと社会との間の、ひっそりとした約束事があるんだ。別の言葉で言えば、win-win関係、難しく言えば、社会契約っていうのかな。ルソーの社会契約論とか、高校の教科書に出てきたよね。
そういうわけで、壁を乗り越えることには、本当は意味なんかないんだよ。「壁を乗り越えよう」なんていうのは、人をタダで働かせるための、スローガンに過ぎないんだ。もう、壁にぶつかった時点で、あなたの評価は決まっているんだ。高校・学部・修士・博士・企業、全部そうなんだよ。壁にぶつかった奴は負け。壁にぶつからなかった奴が勝ち。壁にぶつかった奴は罪人で、壁にぶつかったという罪を、一生つぐなわないといけないんだ。
【追記】
ついでに言っておくと、僕は東大卒です。東大入学は、僕にとって壁ではありませんでした。まぁ、その後、壁にぶつかったわけですが。いろいろ反論はあるみたいですけど、「自分にとっての壁を乗り越えたんだからいいじゃない」みたいな意見は、単なる自己満足だと思っています。たとえ自分の中では成長したと思っていても、他人から見たときに自分が成長していることを示せなければ、「自分の成長」を客観的に示せないわけです。壁を軽々と乗り越えられる人間が、壁にぶつかる人間より優れていることは、明らかです。競争社会では、壁にぶつかった人間は不要なのです。その代わり、壁にぶつかった人間は、壁を乗り越えた人間を恨み、妬み、殺されないように自衛することは許されています。それが競争社会の意味であると思っています。
【追記2】
今までの記述と矛盾するかもしれないけど、少し冷静になってみる。とりあえず、自分の経験は、次のようなもの。高校のころから、「壁を乗り越える」というのは、まず、「自分の壁」を探して、その後、ぶつかることだと思っていた。当時から、「xx君は数学ができてすごいな~」、「でも、数学は自分の壁じゃないから、そこそこできればいいや」というようなことをやっていた。こうやって、ぶつかるべき壁を絞っていった結果、一応、「自分の壁」は見つかったんだけど、今ぶつかろうとしている壁は、数学や英語の「基礎力」がモノをいう壁でした、という話。だったら、最初っから「自分の壁」とか「壁を乗り越える」なんていう考え方をせずに、基礎力を鍛えておけばよかったな、という話。
でも、だからといって、「基礎力をつけようとしたら壁にぶつかったけど乗り越えました」なんていうことをアピールするのはひどい勘違い。企業にしろ、大学の先生にしろ、他人が自分の基礎力を評価するときは、そもそも「壁にぶつからない人」を高く評価する。基礎力をつけるときに、自分の壁を乗り越えた、バンザーイ、なんていうのは、甘っちょろい自己満足。
だからね。何がいいたいかっていうとね。
・個性とかオリジナリティーとかうざいです。結局、基礎力がないとおもしろいことはできません。オリジナリティーの高いものを作るには、基礎力が必要。
・逆に基礎力さえ高ければ、オリジナリティーの高いものが自然に出てくるのです。
・基礎力をつける段階では、「壁を乗り越えたかどうか」は評価されません。壁にぶつかった時点で、あなたは、壁にぶつからなかった人より劣っているとみなされます。つまり、もう、そこで序列ができているのです。あなたは、負け犬です。
・ただ、壁にぶつからなかった人を羨み、妬むことは許されています。個性とかオリジナリティーとか独創性とか、馬鹿げた幻想に踊らされるよりも、人を羨み、妬みながら静かに生きていたほうが、幸せな人生がおくれると思いませんか?
ということです。
わかる。
夫がいて子供がいれば、どんなにそいつがデブでブスでも、生物としてはそいつが勝ち組。
トラバにあるような「実際はそんなに楽しくないよー」なんて嘲笑にしか聞こえない。
でも家に帰ればあなたを待ってる人がいるんでしょ?
つらいことがあろうとも、子供の成長を微笑ましく見守る時間があるんでしょ?
私にはそんな日は来ない。
で、そんな事考えてる自分に自己嫌悪。こんな事考えてる女、そりゃあ貰い手いないよ。
自業自得だ、ご苦労さん。
好きでもないのにいきなり手繋ぐとか、普通ないと思うよ。