よく家とかでさ、「ヨーロッパ風に仕上げました」とかあるけどさ、みてみると全然ちがうっていうのあるじゃん?
ヨーロッパ風って具体的にどこの地方のいつくらいのもんなのよ、っていうの全部適当で、しかもそれの超劣化コピーばっかりで。
だったらさ、機構的に合う合わないとか予算とかあるかも知んないけどさ、向こうの家で売りに出されてるの分解して持って来て
こっちで組み立てるとかさ、図面から徹底的にコピーして寸分違わぬように作り上げるとかできないものかねえ?
それができないならやらなきゃいいのに。
和室とかだってそうだよな。江戸のいつくらいの武家屋敷がモデルなのか、そのころの建築様式はこうで、こんな素材がこういう工法で作られていて、とかさ。
そもそも和室なら室だけじゃなく家全体を武家屋敷みたいにしないとつじつま合わんだろ。ちゃんと作ろうとしたらさ。
それも言われてみればそんな気がしてきた.
アナタとは話が通じる気がしないけれども、
気軽な話をしてる時にオカルトとはそもそもなどと言い出す輩ではないことは確かだなあ
9割はちょっと女に夢持ちすぎてるね。
いいとこ半々てとこだと思う。
あ、
「言わないけど態度に出てる」
ってのは「言わない」うちに入らないよ?
「詭弁のガイドライン」なんていう正確性も担保されてないただの誰かの創作コピペに過ぎないものに頼る上にしかも「誰かやってみてくれない?」って他人頼りなのがすごいな。清々しい。
なるほど、単にどこに馴染んでいるかってだけのレベルの問題だなそれ
サイズの問題じゃなくて可能か不可能かって問題だよ
あくまで社会の風潮として認められて欲しいって話でしょ
それと、いざそれが認められる風潮になった時にそいつが選ばれるかどうかってのは別問題だし
それは…増田はわるくないと思う…
余計なおせっかいを後に咎められる、ならわかるけど、慎重に徹したんでしょ?
ならばその先輩カップルは変だよ。
嫌ったというだけではどうしようもないだろう(そもそも他人の心の中なんて分からんし)。「嫌った結果とった行動」に対してなんらかの処遇をすることは可能だろうけど、それは現状と一緒だし。
セクハラを参考にして、受け手が嫌われたと感じたらそれでハラスメント成立ということにするか?ヘイトハラスメントとかなんとか名前を付けて。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/26ca7359e6d2d15ba74bcdf9989bee56
イスラエル人の前でこのようなスピーチを行うことは、受賞を拒否するよりはるかに困難な決断だ。彼の小説はデビュー作が『群像』に載ったときからすべて読んでいるが、このスピーチは彼の最高傑作だ。よくやったよ、君は日本人の誇りだ。
もう少しです
本当に読んだの?
スピーチも含めて
いや、スピーチだけでもいいから
ケーザイガクじゃなく日本語やコミュニケーションを勉強しましょう
本当にやれやれだよ
まるで、童貞中学生がクラスの女子でオナニーしていることに悩んでいるみたいにウジウジしやがって
春樹でオナニーしたんでしょ?
だったら、とびっきりの笑顔で「ありがとう」って言って、握手を求めればいいんだよ
わかった?
おれはみんなのオナニーはもう見たくないの
みんなが、春樹でオナニーした話はもういいの
春樹のオナニーも見たくないの
オデバカダカダヨクワカンナイの
誰か教えてくれよ
もう見たくないの、こういうのは
http://d.hatena.ne.jp/tmsigmund/20090214
政治や思想は、銃弾や軍隊に勝てないことなんて初めから知っていたろうが
負け戦なのは初めから知っている(た)のに何で、今になって感想戦なんかしてんだよ
ばっかじゃないの
いや、あったまよすぎじゃないの
世の中の非モテ怨念が「負け組のくせにセクロスだけはご立派ですよねw」的マインドに支えられてるんだとしたら不健全このうえない。
あのねえ、30過ぎたら非モテとかどうでもいいわけ。男としてどうなのって話なわけよ。
言い方を変えるとだね、30過ぎたら非モテとかぐだぐだ言うフェーズは終了してるわけよ。
もっと他にこだわり直さないといけないことがある。人生とか。
攻撃するされることにたいする罰則やルールはあるけど
人を嫌う嫌われることに対する罰則みたいなものはない
同じ傷つくことなのに。本当に?
女って攻撃しないよな、嫌うけど。
嫌われて傷つくことに対して何かしらの保証をしなければならないのなら、
話はもっとややこしくなる気がするぞ。
http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20090220/p1
> 今回の村上春樹氏のケース以外でも、海外のニュース記事やブログ記事などを、気軽に全文引用・翻訳して、自分のブログで紹介しているケースをしばしばみかけます。
そんなこと言ったら海外の記事を勝手に翻訳した上写真も転用して
gigazineやらばQとかはどうなるの。
(※参考サイト:http://sikoken.blog.so-net.ne.jp/2006-11-24 )
いわゆる「自分にこそあてはまる批判を平気で他人にする」人間なのだが、
結局再度縁切りする結末となりました。
あまりに気持ち悪いので(詳細は省略、自分の人生で2番目くらいに嫌な奴と共有した体験を想起せよ)
逆上されて襲われる前にメール受信拒否宣言して交流を切った。
「あいつは、罵倒して絶交してやった」とか書かれていた。
二重の意味で、ほっとしたのであった。
デイリーポータルZのうずらの卵に有精卵が混じっているという記事。むやみに発生させて楽しむものじゃ無いと思った。
動物実験というのは、今日の社会に無くてはならない大切な事だけども、スーパーで売られている物が孵るという意外性を楽しむだけに生まれてきた生命になんの意義があろう。
生徒の学習を目的とするならば、実験用に管理された物で行うべきだろう。ほとんどが無精卵である食用のものを用いて大半を捨てるなどということは、非倫理的だと私は思う。
人の都合で食べるために産み落とされた尊い卵を、用途を違えて実験に使うべきでは無い。命を消費して実験をするには相応の大義名分が必要だ。
これは、発生の実験でもなんでもなく、食用に流通している卵に有精卵が混ざっている事実を指摘するというWEBサイトのネタでしかない。
人の殺生に対する倫理観や罪悪感というのは個人差も大きく定義も曖昧であるが、同情やそういった気持ちを生みやすいのは、人に近い形状の動物であるほど大きい。今回の件は鳥類であったが、これが霊長類だったらどうだろう。霊長類はそもそもスーパーなどに流通していないが、それも人に近い為殺生のイメージがわきやすく食に向かないからだ。霊長類を実験で発生させたり失敗させたりという記事だったら、嫌悪感ももっと強かったのでは無いだろうか。そういった意味で、鳥類の実験による殺生は魚類や両生類、は虫類よりも、より強い大義名分の元に行われるべきだ。命の重さに違いはある。この重さというのは人間の心が感じる程度の違いだからだ。細菌やウイルスの命なんざ尊ぶ必要はない。魚ならより気楽に発生の実験をしても良いだろう。ウズラの場合はどうか?
はてぶのコメントは、多数の側に偏りがちで、この記事に対するコメントは、良しとする意見に流されているようだが、私は、生命をもてあそんだ良くない記事だと思う。おもしろ半分であるし、それを推奨している。
動物実験を行うその意味と必要性は、常に倫理と照らし合わせて考えておかないと、人は探求欲に負けてしまうのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://portal.nifty.com/2009/02/19/c/
人は己の利害において殺生する。社会に害悪であれば人同士で死刑にもする。時に敵国民は殺すべきとも考える。動物実験は人の社会に有益な行為だから行う。価値基準は多数意見へと流れやすく変動する。
皆が良しと考えたからウズラなら良いという事になるが、私は嫌だ。ここで、否とする意見を述べておくことが重要だと思ったのだ。この記事の殺生は避けられる殺生だ。可能な限り殺生を避けようとする意志を持つことは重要だ。己の利害を優先するほどに社会は全体として不幸に陥る。局所的な利害に目をとらわれて大域的な不幸に陥ったのが戦争だ。避けられる殺生は可能な限り避けるべきなのだ。