幼稚園とかいったら、立ってするのがあたりまえなんだから、
トイトレもその方式でしないといけないよね。
思いっきり便座汚すわけだが、、
ちんちんの出し方だけど、子供のズボンはだいたいゴム付なので、
引き下ろすようにして出してしまう。
チャックから小さいのだけ引きずり出すのは、困難ではないか。
ちなみに、女房に「はねっ返り」をずいぶん叱られたので、
自分は座ってするようにしている。
だけどこの季節は、便座が寒いのでちょっと躊躇する。
腰痛持ちなので、起き抜けとかに体を曲げたくない、というのもある。
回転速度のことだと一笑されて終わるよ!
「えー先輩ってはてな市民だったんですか?」
「そうだよ」
「僕、ホッテントリに入るの憧れだったんですよ~」
「俺は5回ホッテントリに入ったよ」
「おー凄いですねー!」
「あの頃はなあ、今と違って・・・」
とかいう会話で、昔を偲ばれたりするんだろうか。
男性の方々に質問なんです。
トイレで小をする時、立ってしますか?座ってしますか?
(家のトイレは洋式として)
立ってするとき、チャックから出してしますか?
それとも、ベルトからはずしてしますか?
いや、2歳の息子のトイレトレ中でして。
一般的にはどうなのかなと。
ネットで検索してたら、こんなん見つけて大爆笑してるダメダメ母親です。
http://storage.act-9.com/2003/0319/index.html
早く、オシッコ事前申告してくれないかなぁ。
パワポケやれば解決だよ!だよ!
http://anond.hatelabo.jp/20090209001638 を読んで連想したこと。あくまで連想なんで、元エントリとはあまり関係ない話。
最近の物語には、オラクル不在どころか、神さまを殺す話が多いなぁ、と思う。神さまを殺す動機としては、自分たちの運命を操ってる存在なんていらない、とかいうもの。
でもそれってどうなのかな?「神さまがみてる」って感覚って大事だと思うし、そもそも神さまを敬わないってどうなの?人の運命は自分には計り知れないもので、そこに畏れ多き神さまを感じたりしないのかな?いや、感じるから殺そうってストーリーテラーの人は思うのかもしれないけど、でも神さまを殺すって本当に恐ろしいことだとは思わないのかな?
だって自分たちを見守っていてくれた何かがいなくなっちゃうんだよ?自分はそれが怖いし、悲しいし、寂しいと思う。
本当に理不尽なことってあると思う。それを神さまが押し付けたものだと思って神さまを恨む気持ちはあるのかもしれない。でも、だからって恨む対象の神さままで殺してしまったその時、自分たちは何を恨めばいいのだろう?そして、何に祈ればいいのだろう?人を恨むのだろうか?人に祈るのだろうか?
全てはただの言葉遊び、そう言い切ることも出来るかもしれない。でも、神さまをなくした世界というのは人が人を恨み、争う世界だと思うのだ。祈りという救いすら与えられない世界だ。神さまは人の恨みも祈りも一身に引き受けて下さる、そんな尊い存在だと思うから。
だから、神さまを殺すのは物語の中だけにして、何教というわけではないけれど、今日も神さまがみているということを心において行動しようと思う。
うわー、いたーい。(~^◇^)キャハハハハハ
フェミとか男女の話は、脳内フィルタ使って見ないようにしているから、からまれてびっくりしたぜー。
男女はそもそも人としての機能が平等になってないから無理だと思うのよねェ!
その場合、あえて風邪を引いた上で頑張りアピールするのが大人なんじゃね?
例えばブログを読んでいる人は「読者」っていうだろ。
小説や論文の読み手も「読者」だよな。まぁそのまま「読み手」でもいいけど。
スタジオの客席は「観覧者」かな。「観客」「お客」とも言うけど、それは微妙に
ニュアンスが変わってきちゃうか。
舞台や講演の場合も「観客」だな。ライブの場合はまぁたいがいお金払うしな。
「観衆」「聴衆」っていう場合もあるかな。
機械やコンピュータなら、まぁみんな「ユーザ」でいいんだけどさ。
こういう「見る人」「聞く人」「読む人」をまとめていえる言葉はない?
そういうのをひっくるめてなんて言えばいい?
原理は同じかもだけど、ヤンキーはフェミニズムの領域にいないんじゃないかな。弱者であることを認めない、拒否するのがヤンキーだよねたぶん。
「どんだけぇ〜」「言うよねー」がああいう人たちが言うのでなかったらあそこまでのインパクトはあったかとか。
私は妹に言われるまではるな愛のことを女の人だと思ってネタ見て笑ってたので、この例にも無理はあるけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20090209150204
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/04/news027.html
こっちのも信じられない…
深刻な違和感を抱える人ほどメッセージに力があるから、(性に限らずいろんな意味での)ボーダー上にいる人が発言者になる傾向はある。
オバマは象徴的だと思うが、例えば芸術分野ではもっと前からそういう傾向はあるんだ。
ただ、それがボーダーから遠い人の発言を妨げるのと同義だと言われると話がややこしい。
実際ヒラリーは落ちたわけだし。
いや、ヒラリーよりオバマのほうが人気があったという話を、女性であることの違和感より黒人であることの違和感のほうが強かったという話に強引に置換してるからこの例えには無理があるけど。
インフルエンザの流行、冬の寒さによる風邪などの蔓延する昨今、増田の皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか。
うがいとかしてますか?
ていうかね、なんでこう、一番辛い人に合わせるんだろう。
風邪引いてる人が頑張ってるんだから…とか
それにさ、未然に防いでもあまり認識されないんだよね。
未然に防ぐのがうまくいくと
何も問題が発生しない=何も起きない=何もしてない
になるし。
どうして無理をやめさせることを第一義にしないんだ。
本当に風邪を引いても休めないもんなのか、本当にそうなのか。