これまで自分が(7つの習慣の)第二領域だと思ってたことは、実は第一領域に分類されてもおかしくないことばっかりだということに気付いてしまった…
第二領域には、
の二種類あって、第一領域と第二領域の差異は緊急かどうかではないんだよな。
どっかで読んだ本に、「調理場に逃げるな」ということが書いてあった。調理場に行けば、とりあえず仕事がいっぱいあるし、体を動かすので仕事をした気になる。でもそれではいけない。というような意味だった。
ところが、「相方」使いは男にも多いんだよ、すごく。
呼ばれたくない男も増えている。
助けてあげる側というのは、イデオロギーを全面に出しちゃいけない。
なぜなら、助けてもらう側の思想の自由は、助けてもらっているということから大幅に制限されうるからだ。
最初から上手くできるかわかりませんが、努力して出来るようになります。
煽りだと思うけど、一応。
真面目にそういう女と結婚したいなら、本当にそういう職場に行くしかない。
なぜならそういう女性は躍起になって合コンやお見合いをしたり、友人に「紹介して」と求めたり、出会いを求めてさまよったりしない。よって、職場関連で出会うしかない。
派遣村にアカが関わっているのがどうしてもイヤという人が少なからず(と思うのはラウド・マイノリティに幻惑されている可能性もあるが)いるみたいだ。
この件に限った話ではないが、あまり「政治」アレルギーが強いと何も実現できないし動かせなくなっちゃうから、ある程度は(自分に取っての)清濁併せ呑むというか妥協みたいなものは必要かと。
うーん、二次創作同人の場合で言うと、そもそも同人を始めるまでの流れが
こういうパターンが多いわけで(もちろん例外もたくさんある。)
pixivとかじゃ「このキャラかわいいから描いてみよう」「はい完成」で済むけど、1冊の本にするのは1週間??へたしたら数ヶ月かかるし、イベントに出るなら数ヶ月前から申し込まないといけなかったりとか、よっぽど好きじゃないと出来ない。
つまり『同人にお金がかかる』というよりは、お金つぎ込んでても物足りないレベルの人の行き着く先が二次創作同人だから、そりゃいくらあっても足りるはずないわな。と思ってる。
はてなは任天堂と同じ、「娯楽産業」というカテゴリで括ることができるかもしれません。
しかし、はてなが任天堂のやり方をなぞれば成功するのか?答えは「No」です。
まず既存のコントローラーを捨てたことについて「自殺行為」と表現していますが、これは大きな間違いです。
任天堂がWiiとDSで取った作戦は「負けても絶対に死なない」でした。
WiiもDSも発表当時の常識からしてみれば、「新ハード」としては誰もが驚くほど低性能でした。
これは可能な限りコストを下げることで、失敗したときのリスクを最小限に抑えたからです。
Wii・DSはたとえ他社に負けて最下位になってもハードが売れれば収益とんとんかやや黒字、
あとは任天堂の自社開発のソフトを売れば自給自足で生存できる、そういうハード設計でした。
加えて任天堂には数年間は一切何もしなくても社員を養えるだけの資産があるといわれています。
しかし、それは飛び降りても死なないだけの圧倒的な体力があったからです。
しかしこれらはあくまで「ゲーム」です。任天堂は自社の強みはゲーム・娯楽であると考え、
一貫して「ゲーム」以上の物は作らないようにしています。(この辺りの発言はWebに有ったはずですが、失念しました)
自分の過去である「ゲーム」を捨てたのではなく、逆に「ゲーム」の定義を拡大することで、新しい事を行う。
似ているようですが意味は全く違います。
この点ははてなも真似ることができるでしょう。
はてなを丸っきり捨てるより、はてなが確実に勝てる範囲を利用して「はてな」の定義を広げることで、
『普段インターネットで遊ばない人や、インターネットに関心のない人に
インターネットが自分に関係のある物として触ってもらう』方が得策でしょう。
任天堂関連を追っている人なら気付いたかと思いますが、「自分に関係のある物」とは
Wiiがレボリューションというコードネームで呼ばれていたときからゲーム離れに対する戦略として何度も取り上げられているキーワードです。
私たちは、「"携帯型か据置型か"という区別ではなくて、ゲーム機は生活の中にいかに自然に入っていけるか否かということで考えてはどうか」というふうに、今思っています。
もちろん、ゲームの中で、日常生活とはまったく違う別の世界に没入して遊ぶゲーム…、まあ任天堂で言えば、例えば『ゼルダの伝説』なんかが典型的なゲームでしょうけれども、そういうものはそういうもので、存在価値がありますし、そういうものを待ってくださっている世界中のファンの皆様に向かって、今後も、任天堂はそういうソフトを作っていくべきだと思うんですね。
しかし、これからゲーム人口をこれから拡大していこうということを考えたときに、全く別な世界…日常とは無関係な世界で遊ぶゲームだけではなくて、日常生活の様々なテーマと繋がっていて、日常生活の中に浸透していくようなゲーム、そういうものがあることで、生活の中にゲーム機が自然に入っていくかどうかと。
まあ、言い換えれば、結果、そのテーマに多くの人が興味を持てるのかどうかということが重要ではないかと思っております。
たとえば先ほどの、えー、DSの例で言えば、なぜ脳トレは売れたのか、なぜえいご漬けは売れたのか、なぜ常識力のソフトはタイトル(『日本常識力検定協会監修 今さら人には聞けない大人の常識力トレーニングDS』)を聞いただけで欲しいと言ってくださる方が沢山いるのか、それは、日常生活と関わりがあるから…日常生活の中に自然に入っていけるテーマだからというふうに私たちは考えています。
http://n-styles.com/mt/mt-trckbk.cgi/1501
はてなやはてなのサービスに読み替えると見える物があるかも知れません。
ただし任天堂の場合、問題が「ゲーム離れ」であり、アプローチする相手にゲーム経験がある、
あるいはゲームについて多少は知られている、という前提なのに対し、
はてなの場合はサービス内容がそもそもアプローチ相手が全く何も知らない可能性がある点は注意点です。
まとめるつもりは無いので、この辺りで。
結局はてなは「はてな」にしかなれないでしょうが、未来の「はてな」の定義が
「なんかよく分からないけど便利らしいよ。」とかになってると良いな、と思う次第です。