創意工夫という言い方が自己啓発より形式ばってないとする基準はよく分からないけど、確かに分かりやすい表現だ。
私は本を読んで実践しないことを否定している。
そもそも自己啓発書の話を私は一度も自分からしていない。周りの人が勝手にステレオタイプな自己啓発像で私の論を批判してるだけであって。
ネットを見ていると非常に多くの人がid:y_arimの人気を嘆き、憂い、悲しんでいる。モテない、ブクマされない、コメの少なさに悩んでいる。そういう人たちを見ると、何か力になれる事はないかと必死になって慰めの言葉を探したり、自分の経験から何かアドバイスできることはないかと推敲を重ねて
少ないリソースでより多くの効果を得ること全般。
北朝鮮の生活の苦しさとか考えても資本主義社会主義の問題じゃないのでは?人間の社会なら必然的にそうなるんじゃないかと。野生動物なら飢え死にしたり食われたりする事も考えると人間というより生態系そのものの問題と思うが。
逆でしょ。少なくとも80年代までの日本は社会主義国であって、最近になってようやく国民が望んでいた形の資本主義国になってきたんだと思うよ。
例えば「早寝早起きしよう!そうすればこういう効果がある!」などは普遍的な自己啓発で、個別の問題の解決には役立たないが、
それでも多くの場面でプラスに作用することには違いないだろう?
それから、頻出する個別の問題があった場合、解決のために必要な普遍的な能力を割り出し、その能力を鍛えるのが自己啓発的な考え方だ。
例えば、研究者として論文を上手に読みこなしたいから文章要約練習をする。これは個別な問題に普遍的能力が役立つ例ではないか?
幸せだと意識上では思ってても無意識では不満に思ってるというのは実際よくあることだよ。
無意識での不満というのは催眠なんかを勉強したことがある人なら非常に厄介だと分かると思う。
だから、幸せだと思いこむことで幸せになろうとするのは危険性が高い。
そうするのは勝手だが、あとで不満を言うなよということだ。
能力開発系のスクールの生徒は軒並み減っているし、2ch生涯学習板も閑散としているし、ネットで能力開発系で盛り上がってる場所が今はこれといってない。
ヒント:mixi
そもそも派遣切り批判をしている人って、実は切られた派遣社員当人ではなくてむしろその周囲と、「助けはしないけど、批判しておくからこれで勘弁してね」的な一般市民が大半なんじゃないか。なんとなくそんな気がする。
俺が見たケースだと、派遣契約を突然切られた奴はとっとと次の仕事をあわてて探していたし、それにあの手の現業職は"日雇い仲間"みたいな交友関係があるので年末は居候させてもらったりしていた。それに、世の中のせいにしている奴も見たことが無い。大抵は若い頃から怠けてきたことを悔いていた。
生活に困らないだけの給与を得ることができないということ。
という正当性を与え、貧者の救済ができなくなってしまう。
もう競争はやめようじゃないか。
誰だって辛い努力なんてしたくないだろう。
これだけ共感する人がいなくて、仕舞いには現状に対して嘆いているのを「ノスタルジーで過去を美化してるだけでは?」とまで言われるとは。
自分が少数派だって判って良かったね!はてな村は特殊な人が多いから世間一般とは違うかも知れないから気にするほどじゃないよ!
自己啓発に関心がある人は増えてるけど、自己啓発をちゃんとできてるひとが減ってるんだね!オタクが薄くなったのと同じだね!希薄化だね!
高いレベルで実行してる人ってどんな人か判らないけど、寂聴さんとかかな?
能力開発系のスクールの生徒は軒並み減っているし、2ch生涯学習板も閑散としているし、ネットで能力開発系で盛り上がってる場所が今はこれといってない。
能力開発ってNOVAとかかな!潰れちゃったね!2ch生涯学習板は過去ログでもそんなに盛り上がってないけど今は英語とか専門にうつちゃったからね!生け花とかギターとか書道とかやってるひとは減ってるって朝日カルチャーセンターの人が言ってた!不況だと減るんだって!寂しいね!
http://www.google.co.jp/search?q=清田益章
残念だね!
こういった過疎的と言って良い状況は10-5年前には考えられなかった。
1999から2004年って、プチバブル初期から末期だからね!あの頃の輝きがもう一度来れば良いね!自分には先が読めなかったって告白するなんて勇気があって凄い!
今回の「派遣切り批判」が巻き起こったのは、単純に数が多いからでは。
努力、創意工夫でいいんじゃないの?
本の売れ行きなどの点は理解してた。
30年前は努力が馬鹿にされたけど今はスマートな努力が志向されているというのはどうかな。
私は20代なので30年前を知らない。
他のレスにも書いたが、私は15??5年前と比較して今は自己啓発に対する意識が低いと言っている。
ひょっとすると、以前よりは意識が高くなってるのかもしれないが、
厳しい時代になったぶん要求される水準が上がったので「足りない」ように思ってるだけかもしれない。
けど、じゃあマスコミの報道だったらバイアスがかっていないのかといえばそんなことは無いはずでさ。
日ごろはマスコミのことをマスゴミといって信用していないという姿勢をとっている人が、コトが雇用問題に及ぶとすっかり信用しちゃうっていうのも不思議な話だ。たとえ朝日新聞の報道でも、派遣切り批判の記事はありがたく頂戴するわけだ。
私が想定していたポストモダニストはボードリヤールとかデリダとかフーコーでしたが、
斎藤環さんも東浩紀さんもソシュールとデリダを下敷きにしている立派な学者さんなのでいいんじゃないでしょうか。
読みやすいですしね。
往復書簡の類は内容が上滑りしがちなので
本気で読むのならよしたほうがいい気がします。
これだけ共感する人がいなくて、仕舞いには現状に対して嘆いているのを「ノスタルジーで過去を美化してるだけでは?」とまで言われるとは。
自己啓発書の売れ行きを根拠に今も自己啓発に関心が深い人が多いよなんて言ってるけど、
少なくとも言えるのは、自己啓発を高いレベルで実行してる人は明らかに減ってるってこと。
能力開発系のスクールの生徒は軒並み減っているし、2ch生涯学習板も閑散としているし、ネットで能力開発系で盛り上がってる場所が今はこれといってない。
こういった過疎的と言って良い状況は10-5年前には考えられなかった。
そういう普遍性のあるものこそ逆に個々の問題の解決には役立たずだろう。
他人と比較せず満足出来るなら良いが、無意識では不満に思ってる人が大半なんだろうな。
「無意識」とか言うのは反証不能でただの決め付けだよ。
それを言うなら他人と比較して不満を言う人だって無意識では満足してるとも言えるだろ。
いや、本なんて自己啓発書やハウトゥー本しか売れてないじゃん。
ランキング見たことある? ビジネスマン向けの雑誌なんてそれ系の特集ばっかだよ。
八十年代なら努力がバカにされてるって感じだったけど。
今は小泉改革後の新自由主義のサバイバル世界だし。みんな資格取るのに必死だよ。
何で意識が低いと思ったの?
俺はああいう仕事をしていたからわかるんだけど
自分自身もそれっぽい職場で働いて観察してなんとなく思うのは、
「朝も夜もない部屋にいると人間の体内時計は一日一時間ずつ狂っていく」
というか、
進むべきメルクマークが示されないと大多数の人間は簡単に沈む。
企業の社員研修でも与えられた動機付けを自分のものとするのに1〓2年は見ると思うし、
そういってことを期待するのは結構酷かなぁ、という気がする。
って感じで、
「よい弱者」「悪い弱者」が存在するというのはそもそも主観的判断にしか過ぎないと思うのだが。
そもそも現時点でも議論(感情論を含め)が分かれてしまうわけだし。
また弱者というのはどちらかと言うとマイノリティであることも多いわけで、多数決で彼らの処遇を決めるというのも本当は難しいのだろう。
まぁ、行政レベルでは「よい」「悪い」を判断するのにもコストがかかるわけで、一律「救う」を基本方針とせざるを得ないのだろうね。
両者の間で「自己啓発本」と言うものの内容に違いがあるだろうから、自己啓発という単語を使わず内容をもっと具体的に書いてやり取りしたほうがいいように思う。