みんなが叫んでるわけじゃなくて
これは非喫煙者側から見ても感じる部分。騒がしたくてわざとやってる?って思う主張の多さにガッカリすることもよくあります
冬の夜風でかじかんだ僕の手は温かさを求めて彼女の手を手繰り寄せる。毛糸の手袋に包まれた彼女の手をなでながら、僕は白い呼吸を漏らした。彼女はじっと僕の目を見ている。僕は体中が固まってしまいそうな緊張と戦いながら彼女の手をそっと僕の頬へあてた。手袋越しに彼女の温もりが伝わってくるような気がして、思わず口元が緩んだ気がしたが、すぐに引き締めた。彼女に気付かれただろうか。いや、気付かれてはいないようだ。彼女はやさしい笑みを浮かべながら、もう一方の手も僕の頬にあてる。じわり、じわりと二人の距離が近付いていく。僕らの舞台を照らす街灯は橙の暖かな光。ちらつく雪が白いカーテンとなって二人だけの世界を作り出す。彼女の頬は真っ赤になっている。それは寒さのせいか、それとも照れているのか。きっと僕の顔も真っ赤になってるに違いない。僕自身の心臓の音がはっきりと聞こえる。僕と彼女は顔を互い違いに傾けて、目を閉じた。彼女は僕の頬を、僕は彼女の腰を持ち、互いが互いを引きよせていく。あと少し、あと少しで僕の唇は彼女に触れる。
さんまとエリンギいりチャーハン。(他材料:卵・たまねぎ・しょうが・米・ごま油)
さんまとエリンギの水分を吸ったのか、すこしベチャッとしていた。
事前にこれらは焼いてから入れたほうがいいのかもしれない。
本日 TBS 系で放送された「ヤレデキ!世界大挑戦」の一部、「Mr.マリックのマジックトリックを見破ることが出来るのか?に挑戦するのはインドで名高い天才兄妹のスシマとクマール。」のセクションが非常に面白かった。
最近、地上波は NHK のニュースぐらいしか見ないのに、珍しく多系を見た。
私の使用しているアナログブラウン管ではそれ以上確認できず。Full HD ならもう少し見えたかも。
凄いなー made in USA。
閑話休題。
もしかしてお兄ちゃんは blog とか書いてないかなーと探してみた。
まだ見つかっていない。そもそも、「クマール」のスペルがわからん。
「スシマ」で検索すると、ヒンズー誌によるとラクノー(地名)でうんたらかんたらという日本語の記事が見つかった。
しょうがないので、ヒンズー誌を見ようと調べる。
で、ヒンズー誌って何?
ヒンズーを Wikipedia で調べて、スペルをゲット。
幾つか見ていくとヒンズー誌っぽいサイトが見つかった。
調べられそうな手がかりはラクノーという地名。
またしてもラクノーのスペルがわからん。
ラクノーを Google.co.jp でぐぐるとインドの地図が見つかった。
Google.com の map を見て、やっとラクノーのスペルが判明。
で、ヒンズー誌内を検索してみた。
それっぽいのがみつからん。
しょうがないので、もう一回、Google.co.jp でクマールとかスシマで検索。
どうやら、妹が高校の入学試験に合格した記事が出ていたのは 2007/06 っぽい。
ヒンズー誌のそこいら辺のページを見てみると、やっと兄妹の写真が写っているページを見つけた。
が、該当する記事はオンラインでは無いっぽい。
...仕事があるので、あきらめる。
カタカナで書いても良いけど、人名地名はスペルが分からなくて困りますね。
特に、欧米以外。
棚からぼたもちが落ちてきた衝撃で七転八倒した俺は、一晩で千里も走るという駿馬に乗った。途中、お盆にこぼれた水はもうコップに戻らないと嘆いていた女性を見かけたので、持っていたひょうたんの水をコップに注ごうとしたところ、駒が出てきたのでびっくりした。
みんなが叫んでるわけじゃなくて声のでかい馬鹿が主張してるだけなんだけどなぁ。
喫煙者としてなるべくマナー守るようにしてるけど。一部の馬鹿のせいで
肩身狭いですよ。
記事を流すような荒らしはでない。その代わり頭がおかしな人がおかしいことを言ったり
ま、エロもSFも読者にどういうイメージを沸かせるかが勝負だから当たり前だけどね。もちろん、作らないといっても浮かぶことはわるけどさ。
俺の場合、「嫌だったらやめろ」というのは、よく脅し文句で使われたからね。言外に「やめられるものならやめてみろよ。もっとも、お前にそんな度胸があるとも思えない。それに、やめることによって受けるメリットよりもデメリットの方が大きいはずだから、お前はやめられない。」ということを暗示した嫌味という印象が俺には強い。
人一倍税金を払ってるんだ!とか開き直ってみたり
クルマの排ガスだって害があるじゃないか!と話を横道にそらしてみたり
スキで吸ってるんです。やめられないんです。と素直に言ってくれた方がどれほどマシか
自覚した上でまわりに迷惑をかけない方法を非喫煙者と考える方向へ話をしてくれた方がよほど建設的だとおもうんだけど
最近は喫煙者が肩身が狭いというけれど、それ以前は非喫煙者がガマンしてきた歴史があるのだということをまず認識してほしいとは思うけど強く言うつもりはない
それはともかく、かつて女の子に結構深刻な相談をされて、「ま、なるようにしかならないよ、自分ではどうしようもないなら少し力を抜いてもいいんだよ」と言ったらめちゃめちゃ感謝された。周りはみんな「がんばれ」「君らしくない」だったらしい。ちなみは俺はデフォルトで「根性入れろ、元気出せ」派。
薄氷だった(w
金を出して買う側の身になって考えていただきたいのですが、愛があろうがなかろうが、程度の低い作品を読んで豊かになる人間はいません。読書はメンタルな作業ですので、貧相な作品による貧相な精神は仕事や生活にはっきりと影響します。そして生活意欲の低下は不況下で困難な日々を送らねばならない社会人にとって死活問題でもあります。
また、読者の総意を満たした適切な作品が作れる人間はそうはいません。沙村広明さんの「おひっこし」に「お前以外の人間は全員お前じゃねえんだよ!」という台詞がありますが、作品と称されるものの大半は製作者個人の嗜好にすぎません。自分の作品に自分好みの展開を入れることは自然ですが、すべてが読者の希望に沿うわけがありません。それをするためには、世の中のすべての人間が同じ価値観の中で生きる必要があります。
以上のことを理解した上でまだ、読者に金は払え読んでも黙ってろと言いたいのなら、ご自由にどうぞ。ただし、あなたが作品だと思っているそれは、読者にとっては往々にして取るに足らないインクの無駄のひとつにすぎず、地球環境にとってはCO2押し上げ要因以外の何物でもないということは覚えておいてください。
http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080105/1199483357
沙村の「おひっこし」はガチ。 http://www.amazon.co.jp/dp/4063142965/
ま、そうだね。駆け引きみたいのはジンジャー&フレッドのシリーズあたりでよく出てきたかな。ダンス中心でストーリーよく覚えてないがw ヘプバーンの映画も、ファニーフェイスとか、背伸びした女の子が駆け引きしてて、それはそれで可愛いけど。
あとはぐんと下って80年代くらいだっけ、「昨日の夜は」って、二人とも非モテだから見栄を張って他に相手がいるような振りして結局すれ違っちゃって駆け引き弄しすぎて破綻というありがちなパターン。ストーリーがまんまだとさすがに観客は身につまされちゃって映画は駄作だった。フィクションにするにはなんか夢がないとね。
キャプラはねえ。最高に凹んだときに見るくらいかな。ストーリー単純だからね。でも時々出てくる大不況の描写がぞっとするくらいリアルで、そこが好きだね。恋愛とは離れるけど。逆に或る夜の出来事はどこが面白いのかわからんかったよw