千秋は古典的な王子様タイプだと思うので、奇形化と言われてもまるきりピンと来ないなあ。
「理想の存在」って時点で、多かれ少なかれ現実にはいない化け物なんじゃないの?
あと、CLANNADに、「三次元での理想」まで重ねてる人はそうそういないと思うけど。
稀にそういう人がいて、そういう声は目立つからそれが全てのように見えるけど、
どーせならこうだろ。
[人材募集]
求む女子。
至難の旅。
僅かな報酬。
極寒。
暗黒の長い日々。
絶えざる危険。
生還の保障なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。
愛については世紀末の詩を見てわかったけど。(それはあくまで野島信司の定義だけど)
愛が正しいとも間違ってるとも思ってない。
話が反れるかもしれないが
「この人たちの愛の価値観はどうなってるのだろう?」って。
この人たちの価値観に僕の納得出来るものはあるのだろうか。
見るたびに思う。
普段何をして、何を考えて生きてるのだろうと
嫌味ではなく純粋に気になる。
抵抗はあるけど、快楽に身を任せて生きるのが悪い事だとも正しい事だとも僕にはわからないから。
一体何を考えているのだろう。
ここに関係者の人は居る?
または似たような生活をしている人(毎日知らない人とセックスしまくる人)
層というと上下関係がありそうだが、
>>「パスタ」「スイーツ」情報に詳しくてお店に並んじゃう層=デジタルガジェットに詳しくてiphoneを入手するのにやっきになる層<<
が、エロゲやケータイ小説でベタに感動している層より上に位置していると言えるのか激しく疑問。
消費への貢献度が高い層が上とか、(ほぼ同じことだが)平均年収を階層の上下の基準にするとかいうなら、まぁ理解できなくもないが。
男「だけ」の役割と言うのは無かったのでは。戦争とかか?
いいところに目をつけたな。そうだな。兵役は完全に男の役割だ。
で、古代社会においてなんかは、兵役の義務と共同体における市民権や参政権が等価だったりした。そこらへんが女性や子供に政治権力がなかったことの基礎的理由。
そうした価値観は近代においてもそれなりに影響があって、近代において女性の権利が拡大した(しえた)理由のひとつとして、第一次・第二次大戦といった近代戦争においては「国家総力戦」の傾向が発生し、産業や支援活動といった面で女性の協力が不可欠になったということも挙げられる。
女性の力がなければ戦争ができない。だから女性が権利を主張することができ、それを認めざるを得なかったということ。
現代日本では軍事について考察すること自体が忌避されていたり、シビリアンコントロールの概念も普及してるから奇異に思えるかもしれないけど、歴史を考えるときには軍事と政治・社会の関係を抜きにはできませんよということで。
最近何度か指摘されてるけど、「恋空」が好きな層と「パスタ」「スイーツ」情報に詳しい層は明確に違うよね。
その違いも分かんないぐらい情報感度が鈍い奴がごちゃまぜに批判してるんだとは思うけれど。
・「パスタ」「スイーツ」情報に詳しくてお店に並んじゃう層=デジタルガジェットに詳しくてiphoneを入手するのにやっきになる層
ていうのが自分のイメージ。
・「韓流」ファン=web2.0と言う言葉がついてるとすごそうと思うオヤジ
てのも似たようなイメージだなあ。
anond:20071127145345だけど確かにそのほうが感じがいいな。うん。
付き合うことをほぼ完全に対価のある労働に置き換えてる時点で、これはちょっとだめだと思うぞ。
給与の応相談という部分が即物的な想像になってしまって「私は○○女か!」という話になりそう。
どうせやるなら、
- [人材募集]
勤務時間:応相談。週に1度程度から。
勤務内容:心のケア、ならびに話し相手。
給与:あなたの心のケア、ならびに話し相手。絶対的な信頼感も提供します。
簡単かつ複雑な、奥の深い仕事です。
たぶん、貴女にしかできない。
おれも難読っぽい名前でシーズンごとに困ったな
まあ大した問題じゃないけど
一度だけ、先生に読めるようにひらがなで書いとけって逆切れされて困った
ホント、そのうち学校の名簿で名前はひらがなで記載とかになるかもね
「希」の訓読みは「こいねがーう」です。音読みは「キ」です。
名乗りで「のぞみ」と読ませますが、ただの「の」とは読みません(いわゆる豚切り)。
やおい同人誌は美形化美形化と言われまくってますが、単に作家さんが自分なりの絵柄で描き直すから、結果的に美形になってるだけのような気がします。
今の女性向同人界の絵柄の主流は、小畑健・星野桂あたりのスタンダード絵柄か、雁須磨子・羽海野チカあたりのサブカルオサレ絵柄かな、と思ってるのですが、基本はやはり少女漫画。少年漫画的なデフォルメが得意な作家さんは少ないでしょう。極端な体型とか、髪型とか、不細工には対応できない。絵柄のテンプレートが既に美形だから何描いても美形に見えてしまうんですね。わざと美形にしているというより絵柄の問題なんです。
そう思うと、腐女子の中で流行る漫画やアニメって、「描ける」っていう条件がかなり重要なんじゃないかな、と。やっぱり少女漫画的絵柄だと、標準体型で奇抜な髪型でもない、普通or美形の10歳から30歳ぐらいのキャラクターが一番描きやすい。
遊戯王なんて「城之内くん、大好きだ」みたいな核弾頭級のセリフがあったのに、腐的に大流行しなかったのは、ひとえに遊戯の髪型のせいじゃないかと思うのです。
アイシールドも男子高校生がたくさん出てくるけれど、標準体型で普通の顔が圧倒的に少ない。一番人気のヒル魔がそもそもギリギリラインで、セナ、十文字、進、桜庭(ヒゲレス)、高見あたりまでが描写可能範囲。でも少女漫画に近い絵柄でモン太や栗田、照光を描くのは辛いでしょう。
事実、「描ける」キャラクターが少ないと腐界ではあっという間に廃れていきます。Dグレも廃れています。
反対に、テニスはその点すごく優秀な漫画。3桁を軽く越える男子中学生がいて、描けなさそうなのは田仁志と樺地ぐらい。リボーンや銀魂、おお振りもおおむね描きやすいだろうと思います。
この条件がアクロバティック解決されたのが、最近人気の電王ですね。イマジンにはそれぞれ分かりやすい擬人化ビジュアルが決められていて、萌えるのに描けない…というジレンマが起きない。実際にジャンル内の人に話を聞いてると、ガワ萌えだけど描くときは擬人化する人が多いようです。
もうね、やおい同人誌を出されたくない少年漫画家さんは登場キャラクターをデブ・奇抜な髪型・不細工で固めるしかありません。そうしたらいくら男同士の友情を描こうと、間違いなく同人誌・同人サイトという媒体では広がりません。描けないもんは描けないですから。まぁ、そういう漫画が大人の男性ならともかく昨今の男子小中学生に受けるのかどうかは甚だ疑問ですが。
もちろんそうしたとしても、本が出ないだけで腐女子が萌えるのは止められないでしょう。大概の腐女子はデブ・奇抜な髪型・不細工でも関係性に萌えることは可能ですし、文字媒体や2chの801板あたりで大人気になる可能性は高いと言えます。アイアンリーガーのように、福本作品のように、情熱で絵柄の差異を凌駕するジャンルになるかもしれない。
やおい的流行を狙う漫画家さんが勘違いしているだろうなと思うのは、キャラクターは特別に美しくなくてもいいということです。描きやすい絵柄であれば補正可能です。それよりも、「私はこの漫画が好きだ」と人に誇れるような、純粋に面白い漫画であって欲しい。やおい流行を狙って作品が面白くなくなれば、購買力のある年齢層の腐女子は逃げてしまいます。そもそも女性読者を狙うのと、腐女子読者を狙うのとでは、アプローチが全く違います。いくら目立っていても腐女子は所詮女子の5%程度です。男子小中学生に人気のない面白くないものを流行らせるほどのプラスにはならない、と申し上げておきます。
あれ、この内容の書き込み、前に増田にしてなかった?
で、その場にはいなかったけど実は同じサークル内に彼女がいて、それでもその後輩に萌えちゃったからそれはまずいよなって書いてたように思ったんだけど。なのになんで相手のサークラっぷり(?)が問題って話になってんだ。彼氏もちだから気を許してるってとこはあるんじゃないのか(彼女的には複雑だろうけど)。
記憶違いだったらごめん。でもそっくりの書き込みをみた覚えがある。
そこでナショナルがあなたをお助けいたします
家に帰ってからは働かないのが男のデフォルトだった。
その時間は「休む時間」扱いだからいいってか。女にはそれすら無かったが。
相手によるんじゃない? きざ、婉曲なのが嫌いな相手にはダメでしょ。
それ以外だったらあなたの普段のキャラにその文面があってれば送っていいんじゃないかな。
いい返事が返ってくるかどうかは別問題だろうけど。
今もまた誰か病気に苦しむ人に救う会が健康保険でまかなえない負担を肩代わりしようとしている。
この問題は炎上しがちだ。したがって相互の言い分は多分に政治色を帯び、印象に残る「分かりやすい」批判と擁護のフレーズが飛び交う。
しかし少し引いて見れば分かるようにこれは健康保険制度そのものだ。それも不完全な。
大数の法則によって少数が直面している突出したリスクを社会の多数が広く薄く負担することで吸収しようとするところは保険の概念だ。
では既存の強固な制度である健康保険や生命・医療保険を利用しないのはなぜか。これらが利用できれば金銭の扱いは当然として、公平性確保や給付金額、自己負担の範囲などあらかじめ決められていて揉めようも無い。
利用できないのは制度の不備だけでなく、無制限の保障の拡大が制度を維持できないからだろう。つまり『給付・反対給付均等の原則』に基づいて参加者の公平さを担保しながら『収支相等の原則』をもって持続的な運営が出来ないからだ。
映画「ペイフォワード」はよくできたおとぎ話だが見た誰もが「だったらいいのにね」と思わずに居られなかった。それは直接の見返りを期待せずに施すことで自らの境遇が漫然と良くなることを期待する話だったからだ。
そこでは合理的にはフリーライダーにならざるを得ない。
見返りをよこさなかった者への社会的報復も許されないのだから当然だ。
随時に任意に組織された保険の負担をしても自分が扶助対象になる保証もなく、制度が持続する構造的な裏打ちもないどころかフリーライダーになることが最も合理的な保険に何の意味があるのか。
(保険金給付の審査が気の毒そうな境遇だけでいいなら傷害保険金詐欺がしのぎのヤクザはずいぶんと仕事がはかどるだろう)
アフリカの難民に何かを期待して寄付するのかといわれればそうでもないのも確かだ。
しかし、これが持続的に発生している情況で、少なくとも募金だけでなく新たな難病保険の設立も含め、既存保険制度に対する干渉を行わなければ(なんら報いることも出来ず喜捨を期待するだけの)乞食の群れといわれても仕方が無いだろう。
確率論・統計学で確立されている大数の法則をわれわれの社会におけるさまざまなリスクに適用すると、個々の局面で捉えると予測困難で、かつ致命的な損害になりうるようなリスクであっても、同等の危険を十分な数集めることによって確率的に予測可能になり、また経済的損失も変動の少ないものになりうると考えられる。
P = ωZ
ここでPは保険料、ωは定量化された保険事故のリスク、Zは保険金を表す。この原則は、保険事故発生のリスクを媒介として保険金(給付)と保険料(反対給付)が等しくなるように要請されていることを示す。
保険会社が同一のリスクを持つ保険契約者の集団から集めた保険料の総額と、保険会社がその集団の中で支払う保険金の総額とは等しくなくてはならない。これを収支相等の原則といい、保険が継続的に安定して運営されるために要請される。