山口 節生 | 不動産鑑定士 | 諸派 | 新 |
吉田 万三 | 〈元〉足立区長 | 無所 | 新 |
外山 恒一 | 路上音楽家 | 無所 | 新 |
石原 慎太郎 | 作家 | 無所 | 現 |
浅野 史郎 | 〈元〉宮城県知事 | 無所 | 新 |
黒川 紀章 | 建築家 | 諸派 | 新 |
ドクター・中松 | 発明家 | 無所 | 新 |
高橋 満 | タクシー運転手 | 無所 | 新 |
佐々木 崇徳 | 〈元〉大阪府警察官 | 無所 | 新 |
桜 金造 | タレント | 無所 | 新 |
高島 龍峰 | 易学者 | 無所 | 新 |
内川 久美子 | 風水学研究家 | 無所 | 新 |
鞠子 公一郎 | 〈元〉野村証券社員 | 無所 | 新 |
(届け出順)
◎とか○とか▲とかオッズとかつけてみてください。
インバイと罵られる前に、自らインバイだと言ってしまった方が楽なのだ。
その後の部分にはこうある。
もちろん、自虐をしておけば差別的な人間が納得するからというのもある。差別、侮蔑をして当然と思う人々は、こちらが適度に自虐をしておかないと、インバイのくせにという侮蔑を、隙あらば投げてくる。インバイはそのことを百も承知。だからたいていの風俗嬢、元風俗嬢はそれを明かして何かを言うとき、自虐、自嘲をする。
前の部分とあわせて、私なりの理解でパラフレーズするなら、風俗嬢・元風俗嬢は論争をする際に、相手のリアクションを先取りして牽制しておくことによって、侮辱から自分の心を防衛すると同時に、議論の作法に基いた「批判」ではなく、愚にもつかない「侮蔑」をされる可能性をできる限り下げているのだ、ということになる。
はいはい。もちろんそこも読みましたとも。
で、それを『私なりの理解でパラフレーズするなら』、そんなんただの思いこみつーか言い訳だよね、ってことですかね。自分が卑怯者であることから眼を閉ざすための言い逃れにしか聞こえません。それとも「全ての風俗嬢・元風俗嬢」にアンケートでも採った上でゆっきーはこれ書いてるんですか、と。自分が全風俗嬢の代表になったような言いぐさで何を言ってるんだこのバカは、ホント。だから触れる必要を全く認めなかったし、言い換えればそこを無視してあそこだけ引用したこと自体がワタシなりの「読み」だという主張でもあったわけですね。「風俗嬢は……するものだ」みたいな言いぐさ、嘘くさくて嘘くさくて。そんなものを信じてやるなんて、随分お優しいことで。ワタシに言わせれば、彼女が「元」であろうが「現」であろうが、そんなものは彼女が自分の頭でこしらえた世界でしかないし、そういう勝手な世界観・人間観の下に、他者に対して攻性防壁を建てて、自分はその安全な城壁の上から下を通る人にタンを吐きまくって、眺めてる人間に「何見てやがんだこのヤロ差別だ」ミサイルを打ち込んでくるような○○が信用できないのは言うまでもないことですよ。
そもそもねえ、個人と社会では社会がでかいから何をしてもいいんだー、なんて、'70頃にはそういう青臭い連中が街中に群れ集って石とか投げまくってたそうですね。で、それで社会が何か一つでも良くなりました?その程度の現実認識を「吐き気を催すほどの現実の作用力学」と仰るなら、そこからさぞかし素晴らしい成果が生まれたことかと思いますけれども残念ながらそういう結果は生まれなかったように見受けますね。その辺どう思ってるのかしらん。それに今回攻撃されたのは単なる「一主婦」であって、社会というにはほど遠いし、ましてそれが「対話の回路を開く戦略」だなんて、もはや現実を遠く離れた蜃気楼でも見ているんじゃないかとしか思えません。一体ありちゃんとゆっきーの間にどんな「対話」が生まれたと?あるいはあればあるべき「対話」だったと?
まあ「チラ裏に書け」とは言わないけど、最低限書いてることの筋は通して欲しいなあ、と。いくら匿名でもね。まあその辺、元風俗業の片隅で仕事していた人間からのお願いでした。まる。
http://www.nipponluna.co.jp/products/yog_01/vani.html
これか!
見たことあった。把握した。こんどかってこよう。
いやね、自分は大阪市内生まれ関西育ちなんですが大阪人というか河内の人というか・・。
昨日も某関西の●TCショッピングセンターのレストランに入った時の事です。
自分達が座った席の隣についたてがありまして。ついたての向こうには姿は見えませんがどうやら旦那と奥さん、子供二人が座ってるようなんです。
「あ、こら!なにやっとんるんじゃぁ!ボケッ!」
パシーン!と子供の頭を明らかに叩く音が聞こえるではありませんか。
いや、こういうのが怖いんです。
奥さんも怖い声で怒ってる様子です。
また、パシーンと叩く音が聞こえます。
周囲は楽しく料理を食べようとしているし、
他のお客様もいるというのに。
「お前、ええ加減にしときや!」
奥さんが怒ってます。
かなりがなってます。
かなりがなってます。
僕は小心者なんで自分が怒られてるようでビビリます。自分が食べてる味がわかりません。旦那さんが店員を呼びつけました。
「ちょ、ねーちゃん、子供が水こぼしてもーてな。はよ、拭くもん持ってきてや!」
自分だったらこんな怖い事できません。
食事の場だからこそ周囲の人にも気を遣うべきだと思っうんですけどね。
子供を叱る事は、教育上必要なのかも知れません。でも、見てる方が痛々しいです。
大阪人なのか大阪府民なのか知りませんが大阪弁、関西弁と関西人気質のこういう部分って凄く苦手です。
その後、車で帰ろうとしたんですが
駐車場のトイレで奥さんと子供を待てっる若い旦那さんがいたんですよ。
「おのれ、ええ加減にさらせや。はよ、こいやワレ。」
ダメです、聞いてる方が倒れそうです。
なんでこういう言い方にしかならないんでしょう。
関西在住の人が全員が全員そうだとは思いませんが、気が短く喧嘩腰。
確かに良い所もあるんですが、自分のような小心者(どこでもかも知れませんが)にとっては特に関西の罵声は言われるのも嫌だし、聞くのも嫌ですね。
ハルヒの実写が新垣結衣主演でハルヒ視点で放送される事が決定したみたいだけど
ただ実写化するのはかまわないがストーリーを変えたり物語の根幹であるキョン視点
を変えるというのはおかしい。
ストーリーをそのまま実写化するのが無理なら実写化しなければいいし、ストーリーを
それをあえて変えてくると言う事は原作で映像化しても面白くない作れないという製作側の
能力の不足であると言っているだけに見える。
最近のアニメで原作があるものはハルヒもそうだがフルメタなど、原作にないオリジナルストーリーは
原作者が脚本を書いている事でオリジナルであり原作ストーリーに沿った物ができている。
面白いなあ。増田に入り浸ってる全ての人に捧げる文章に読めなくもない。自分が心の底からこう思ってるかはともかくとして、心の底に「少しでも」こう思う気持ちがあるんじゃないの?って言われたら否定できないかもしんない。
…という邪推勘繰りはまあおいとくとして、この人に足りないのはやっぱ「愛」でしょ「愛」。評価とか業績とか、多少の支えになるとしてもさ、所詮は数字であり自己評価なわけで、そんなもんが欲しいんじゃないだろ、と。
人が根本において求めてる「何か」つーのはもっと原始的な喜びなんだろーと思うのよ。たとえばさー、でっかーぃ獲物とか狩ってきてさあ、よいしょよいしょ…って、かついで自分の洞穴まで引っ張って帰ってくるわけよ。んでさー、出迎えてくれる嫁さんやら子供やら家族やらに「…まぁ……(眼がうるうる)…」とか「とーちゃんすげぇぇぇぇぇEEEEEEEE!」とか「お前……やるようになりおって………」とか、仲間から「やっぱり○○違ぇよなぁああああああ」ってセンボウのまなざしでみられてさー。まあそういうのが欲しいんじゃないの。つまり「生」の人間関係つーかそーゆーもんに支えられたリアクション。端的に言って、愛でしょ。
だからまあ結婚して早く子供作れよ、と。それで幸せになるかどうかは分からないが、今より少しは幸せになったり寛容な人間になったりできるかもしんない。マジで。
お前は俺か。身につまされることが多過ぎる。
間に入る誰かが金銭的な部分とかスケジュール調整とかしてくれるなら嬉しいんだが、制作上のやり取りは直接クライアントとやりたい。
ウチの場合は間に入った上に金銭的な話もスケジュール調整もこっちに振ってくるばかり。最悪。
http://anond.hatelabo.jp/20070322152441
だいぶ暖かくなってきましたものね。つい眠くなってしまいますよね。
それでも仕事に専念しなければだなんてとても立派なことだと思います。
がんばってください。
http://anond.hatelabo.jp/20070227172128
とは言ってもあまり書くことはない。鍋は美味しかったし、いろいろ話もした。
この話題をここに書くのはこれで最後にしたいと思う。自分の気持ちはもうかたまった。
http://anond.hatelabo.jp/20070322165120
いや、ネコ鍋じゃないから(笑
http://anond.hatelabo.jp/20070322144400
自分が先にマッサージしてもらいます。
終わったら仕返します。
ご飯を食べたら、音楽聴きながらお互いだらだらマッサージという妄想ばかりが広がります
さて。
http://anond.hatelabo.jp/20070322150852
間の人は専門的なことがわからないクライアントと、専門家であるあなたとの間に立つ翻訳家であったり調整役にならないといけないですよね。
がんばってください。
仕事をしていないという意味ではなくて、仕事に対する行動する意識が薄れているということ。
どうしても意識が薄れてしまうのならば、仕事に対する考え方・捕らえ方を変えなければ、
意識が代わることも無く、眠気も覚めることも無い。
http://anond.hatelabo.jp/20070322142757
そうやって生きてる人もこの日本にはたくさんいるって話ですよ。
職業フリーターでも、生きてくだけならどうにかなるんじゃないですか。
がんばってください。
クライアントの要望でデザインを直す必要が出てきたのだが、クライアントと自分との間の人の指示が下手でイライラさせられる。
人物の足の間から背景がのぞくのはダメ。という要望を「股の下のこれとこれを消してください」と伝えてくる。その指示だと「これとこれ」が悪いのか「股の下」が悪いのかわからないから、他の部分の修正で「股の下」に影響が出た場合に悩むわけで。
他にもクラ:「このマークをどこかに入れて欲しい」→間:「このマークをここかここにいれてください」とか。場所は間の人が自分で考えたらしい。「こことここがおさまりがいいと思って」いやそれ検討するのデザイナーだから。
デザインと言うのは理由の積み重ねだと思っている。設計と同じだ。なぜそうするかを考えながら作業している。勝手気ままに配置してるように見えるのかもしれないけど、案外頭を使っているのだ。
だから理由がわからない指示をもらうと頭と手が止まってしまう。ジェンガのごとく慎重に積み重ねてきたものが一気に崩される。
指示の前に理由を出してほしい。クライアントが「なんとなく」と言ったならそれでもかまわない、それはクライアントだから仕方がない。だが内部の人にまで理由なき指示をもらういわれはない。理由を伝える手を抜かないでくれ、でもあんたが考えて下手に手を入れないでくれ。クライアントの要望をゆがめないでくれ。
児童ポルノ法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)
http://www.moj.go.jp/KEIJI/H01.html
第七条 児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 前項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを製造し、所持し、運搬し、本邦に輸入し、又は本邦から輸出した者も、同項と同様とする。
児童ポルノを律している条文はこれだけです。
立法当時は「持っているだけで罰せられる悪法」なんぞとさんざん騒いでいましたが、
なんのことはない、所持が罰せられるのは、
2項により、「頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列」する行為の目的での所持のみとなります。
また、「販売」という規定があるのに、それと表裏一体であるはずの「購入」という行為が規定されていない以上、
立法者は販売のみを刑罰によって威嚇し、これを禁圧しようとしたと言うことが出来るでしょう(立法者意思説)。
の精神の現れということなのでしょう。
よって、「Tバック??」が児童ポルノに当たるとしても、
購入する行為は不可罰ですし、所持していたとしても、「頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列」する目的でない限り処罰はありえません。
それだけではつまらないので、ついでに、児童ポルノの定義も勉強しておきましょう。
第二条 この法律において「児童」とは、十八歳に満たない者をいう。
2 (略)
3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
本件で該当しそうなのは2条3項3号でしょうか。なんというかまあ、抽象的な定義です(殺人罪の「人を殺した者は云々と比べても明らかです)。
客観的に児童ポルノに該当しない場合は、もちろん犯罪そのものが不成立となります。
その該当するかしないかの判断は、究極的には裁判所がやることなので、なんともいえません。
まあ、かつて、わいせつ文書として認定されたモノは、今見てみるとただキスしたくらいのレベルだったりするので、
今じゃ円光モノで無修正モノとかでなければ触れないような気もします。が、わいせつとは要件がちょっと違うので軽信は危ないですね。
客観的に該当してしまっていた場合、Tバック??が児童ポルノに当たるか、というように、法律の概念に当てはめ・評価が必要な場合、
どのくらいの認識があれば故意があるのかという問題があります(我が刑法は、わざとやった、故意犯の処罰が原則です)。
この点については見解が分かれているところなので、詳説は避けて簡単に述べますが、
通説的な見解では「素人判断で『こりゃヤバイ代物だwww法に触れるねwww』と思った」ような場合に故意があるとされます。
ヤバイと思っている以上、それを思いとどまる機会があるのに、あえてそれを無視し、また大丈夫と軽信したので、
故意にやったと評価できるというわけです。
過失犯を処罰する規定がないので、故意がなければ不可罰です。
多分あなた、ステータスが満たされてても満足できない類の人間だよ。自分に才能があると思ってるんだったら、それ相応の根拠があるのでしょう。でもその根拠となることで満足できてない、ってことは、今以上のステータスを手に入れても満足できません。
自分に満足できていたら他人に絡まない、という仮説は多分正しいけど、ステータスを上げたら自分に満足できる、という仮説はきっと間違い。本当に年収があれば自分の嫌なところが見えなくなると思ってるの?
だから、人を腐したくないのならば遠回りみたいに自己満足する道を探すんじゃなくて、直接その人を腐さないようにするのがいいと思うよ。それは、視点を変えれば簡単にできる。逆に言えば、視点を変えない限りあなたが他の人の嫌なとこばかり見てしまう人間だってのは欠片も変わらない。
人と自分の違いをしっかり認めて尊重できる、そんな人になるのがきっと一番の近道。
後、そのクソみたいなプライドを鎮める方法だけど、価値観の違う友達を作るといいと思うよ。もう社会人だから難しいかもしれないけれど。
そのプライドの高さはきっとある一つの物差しに支えられているものでしょう。
でも、世の中いろんな物差しがあって、他の物差しで計ったらあなたのプライドの根拠になることなんてほんの些細なものに見えるよ。さっきの視点を変える、ってことに通じるけど、もっといろいろ相対的に見れると、自分のちっぽけさにも気づくし他の人の凄さにも気づけて、クソみたいなプライドなんて鎮まるんじゃないかな?